何回も書いてきた話で恐縮ですが、
僕は現役時代、松原市役所に38年間勤めて、そのうち26年は議会事務局という部署にいました。
就職して4年目に議会事務局へ異動し、以後16年間、そこで勤めました。
次にそこから別の部署(総務課)で2年間勤め、そのあと広報課に任命され、「広報まつばら」を作る仕事に変わりました。当時はパソコンが出始めた頃で、「マッキントッシュ」を使って広報誌を作りました。
そしてその広報課で5年勤めて50歳になった時。
また議会事務局に人事異動になりました。
そこから定年までの10年間、そこで勤めました。
つまり、若いころの16年間と、最後の10年間、合計26年間、議会事務局に勤めたわけですよね。
と、まあ、そんなことで、
退職してからも、松原市の議員さんたちとの面識があったので、選挙の際、その都度▽▽党や●●党の元議員さんが、今でもわが家にやって来て、
「わが党の立候補者をよろしくね!」という「お願い」をされます。
僕にとっても、議会時代の顔なじみの方々なので、いずれにしても、お会いできるのはうれしいですね~
で、10月に行われた衆議院総選挙に関係する話なんですけど。
その、選挙前にわが家に来られたのが、▽▽党の元議員のFさんでした。
「今度の選挙もよろしくね」と言われたあと、雑談に入ったのですが…
その会話の中で、
「あの津〇元議員さんが、亡くなったよ」と、そのFさんが言った。
「えっ?」と僕。
ちょっと待って。
あの津〇議員が?
「津〇元議員」と言えば、僕が初めて議会事務局に来た時におられた議員さんで、とてもカッコいい人だった。事務局に来て間もない僕にも、とても優しく接していただいたのですが、なんといっても、この議員さんの「ファン」がすごかったのを覚えています。
選挙運動の演説にも、女性の人たちがずら~っと津〇議員を囲んでいました。
つまり、これを「おっかけ」というんでしょうね。
とにかく女性ファンの多かった津〇議員さんでした。
イケメンでもありましたしね~
そんな人気者の津〇議員でしたが、やがて引退され、それ以来、会わないようになりました。
その後、どうされてるかは知らなかったのですが、先日その元議員のFさんが来た時に「津〇元議員が亡くなったんだよ」と知らされたので、驚いた次第です。
「え~、そうですか。う~ん。もう89歳ぐらいですもんね」
と僕は、なんとなくその言葉が口に出た。
すると、F元議員は、
「なに? そんなこと、わかるの?」
と、驚きの顔。
「えぇ、まぁ」と僕。
実は年齢だけではなく…
亡くなられた津〇元議員の生年月日を、僕は今でも覚えているのです。
なんでやのん?
とF元議員から言われたタイミングで、僕は言いました。
「津〇元議員の生年月日を覚えているからです」
「え? なんで? なんで覚えているの?」
そこで僕は言いました。
「津〇元議員は、昭和10年11月12日のお生まれでしたよね」
「……」
「つまり、10、11、12と並んでいる。これはすごいですよね。僕は当時の議員名簿を見て、そこには生年月日も書いてあったので、それを見て、津〇先生の昭和10年11月12日、という数字が、それ以来、忘れられなかったのです」
というような会話を、先日、元議員のFさんとしたわけです。
来年は「昭和100年」なので、昭和10年生まれの津〇元議員は89歳だったとわかるんですよね。
で、この話はこれで終わりますが、
今日はその、11月12日なので、この話を書かせてもらいました。
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