東京五輪のマラソンと競歩が札幌で実施されることが正式に決まったようです。なのでもうこれ以上、この問題には触れないで、今日はにわかに注目を浴び始めた北海道マラソンに関する僕自身の懐かしい思い出をつづります。
今から23年前のことになりますね~
1996年(平成8年)8月25日に行われた第10回北海道マラソンに、当時47歳だった僕も出場しました。妻と2人で旅行も兼ねて行きました。
北海道マラソンは全国ネットでテレビ中継されるほど大きなレースで、この前年の大会では、故障で低迷していた有森裕子が久々に出場して優勝し、その実績を買われてアトランタ五輪の代表に選ばれました。そして翌96年7月に行われたアトランタで見事に銅メダルを獲り「自分で自分をほめたいと思います」という言葉が大きな話題になりました。
僕はこんな本格的なレースに出るのは初めてで、夏のレースに出るのも初めて。しかも制限時間が4時間。僕にとってはかなり厳しい条件でした。(現在の北海道マラソンは制限が5時間で、参加者も大幅に増えています)。
コースも、当時は真駒内陸上競技場からスタートして、札幌市内を時計と反対方向にグルっと回り、最後は大通りを走って中島公園がゴールでした。今は大通り公園がスタート地点で、コースも大幅に変わっていますけど。
さて、レース当日、真駒内陸上競技場へ行くと、入り口付近に、当時エスビー食品陸上部の監督だった瀬古利彦さんが一人で立っていた。妻も僕も、現役時代の瀬古選手の大ファンだったのでビックリ仰天。僕はとっさに妻に「瀬古さんのところへ行き!」と背中を押し、妻がそちらに向かった時、「瀬古さ~ん」と僕は声をかけ、瞬時にカメラを出し「妻と一緒に写真を撮らせてください」とお願いし、そして妻は素早く瀬古さんの横に立った。瀬古さんは「へぇ?」という顔をしたが、僕は待ったなしにシャッターを切った。
これがその時の写真です。瀬古さんは、
「へぇ?」という顔をしていますね(笑)。
ど~も、失礼しました。
そして妻はスタンドへ行き、僕はランニングシャツとパンツ姿に着替えてトラックへ行くと、そこには、ゲストとして、去年の北海道マラソンで優勝した有森裕子さんが来られていて、僕らのすぐ目の前で「頑張って下さ~い」とやさしく声をかけてくれました。この時はつい1ヵ月前のアトランタ五輪で銅メダルを獲ったばかりなので、その有森さんに直接会えるとは思いも寄らず、これまた大感激でした。
さて、レースはお昼の12時05分にスタート。競技場のトラックを半周して外に出ましたが、ふと後ろを見るとほとんど人がいない。男女合わせて2,300人の出場者の中でも、僕はほとんど最後尾を走っていました。
季節は8月なので、札幌と言えども暑い。翌日の北海道新聞によると「正午のコース上の気温は27度。終盤には31度まで上がる厳しいコンディションだった」と書かれていました。
どれだけ暑かったか、今ではよく覚えていませんが、僕の頭の中は、4時間以内にゴールすることしかなかった。札幌の人たちは沿道から熱い声援を送ってくれていましたが、そんな中で時間ばかり気にして走っていたわけです。
ハァハァと走りながらようやく35キロ地点に来ると、大会係員が、 「ここはあと2分で閉鎖します。急いでくださ~い」 と、拡声器で叫ぶ。
交通規制を早く解くため、レースでは5キロごとに制限タイムが設けられているのだけれど、鈍足の僕はどのポイントでもずっと制限タイムギリギリのところを走っていた。ゴールにおける関門閉鎖は3時間59分だ。きわどい!
大通公園へ出るとますます観衆の姿が増え、いよいよゴールの中島公園が見えてきたときは必死だった。周りにも多くのランナーが走っており、みんな時計をにらみながら走っている。そしてゴールイン! タイムは3時間57分09秒だった。ホント、すれすれでの完走でした。
人混みをかき分けて来た妻が「よかったね」と声をかけてくれた。あぁ何とか完走できたぞ~。そう思ったとたん、寒気がしてガタガタっと体が震え、思わずそこにしゃがみ込んでしまった。
ゴール直後にここまで体調が急変したのは、長いマラソン人生でこの時だけでしたが、しばらく休んでいるうちに少しずつ回復し、事なきを得ました。レース中、あまり暑さは感じなかった気がするのですが、翌日の新聞によると、約2,300人の出場者中、完走したのが1,850人だったそうで、やはりそれなりに過酷な条件だったのでしょう。
この時の古い写真を引っ張り出してみますと…
これが真駒内陸上競技場でのスタート風景。
妻がスタンドから撮ってくれたものです。
僕はこの大集団の最後尾にいました。
やっとゴールして、しばらく休んだ後です。
まだ「あぁしんど」という顔をしていますね。
レースの翌日の北海道新聞1面。
女子の部で優勝した安部友恵選手が大きく載っています。
男子の部では外国人選手が優勝していました。
そして同じ新聞のスポーツ面では、2ページにわたり完走者全員の順位と記録が掲載されていました。僕は3時間57分09秒で、男子の完走者1681人中、1597位でした。ギリギリでゴールインした人たちがこれほど沢山いたとは…
一番左が順位でその右はゼッケン番号です。
翌日から妻と一緒に、富良野~帯広~釧路などを観光し、旅行気分も満喫しました。マラソンで完走できたので、期待していた以上に楽しい旅行となりました。
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