「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
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5月5日に

2023-07-16 07:30:00 | 日記
5月5日の2時頃に、Iさんからみゆきちゃんと3人のグループラインに、📩が入りました。


ねーさん。
2016年の今日、
杉山神社と横浜博物館行ったんだな、、、
今、杉山神社のブログを書こうか?と、ふと思って写真探してみたら、、、
今日!と同じ日でマジでびっくりした、、、、
背筋ブルブル、、、
マジか。
偶然でも程があるわ。
呼ばれてると思う?なう?


私はこの📩を見ていなかったのですが、みゆきちゃんが、

呼ばれていると思います。


と反応したので、彼は杉山神社に向かっていました。


私は📩に気が付いて、6年前の記事を探してみました。
2016,6,6の記事を抜粋します。

Iさんの📩

杉山神社はさ、どこと言ってるのかな?

・都築区 茅ヶ崎中央
・都築区 中川 大棚
・緑区 西八朔
・港北区 新吉田町
・稲城市 平尾

ウツネの神に聞いてみると、一番上の茅ヶ崎中央の杉山神社とのことだったので、そこに向かいました。


🌟杉山神社(すぎやまじんじゃ)は神奈川県横浜市都筑区にて、都筑中央公園東端の高台に鎮座している神社。
旧茅ヶ崎村の郷社で、横浜市内唯一かつ旧武蔵国の式内社である「杉山神社」の有力論社の一つとされている。

祭神 五十猛命(イソタケル)
配祀神(合祀):天照大神、倉稲魂神、素戔嗚尊

天武天皇白鳳3年(674年)、安房神社神主の忌部勝麻呂(紀州系忌部氏)によって武蔵国の杉山の岡に高御座巣日太命(高御産日命)・天日和志命由布津主命(阿八別彦命)の3柱(現在の祭神とは異なっている)が祀られたことが記されており、同氏の麻穀栽培地開墾の拡大とともに神社も広まったとされる。

当時の都筑郡は開拓者である忌部氏の勢力が強く、多くの古墳や環濠集落が作られ、武蔵国府の支配外にある一つの小国を形成しており、古東海道も横断し物資の集散地であった。

また当社の背後にある山からは土器が出土しており、当地周辺において古くから人々の暮らしがあったことを示唆している。


🐶 烏山神社と杉山神社の話



6年前の5月5日は、朝から三鷹の旗神社に待ち合わせて、その後千歳烏山の烏山神社から、横浜市都築区にある杉山神社に行き、すぐ近くにある「横浜歴史博物館」と博物館の屋上から繋がっている「大塚・歳勝土遺跡(おおつか・さいかちどいせき)」に行ってから、南区の蒔田にある杉山神社に行くという、かなりハードな1日でした。
本当は、ずっと言われていた伊豆大島に行こうとしていたのですが、GWで難しいということになっていたのですね。


🌟大塚・歳勝土遺跡(おおつか・さいかちどいせき)は、1972年(昭和47年)の発掘調査で存在が明らかとなる。

大塚遺跡は弥生時代中期の環濠集落であることが確認された。

歳勝土遺跡では、大塚遺跡の環濠とその周囲に広がる土塁に近接した一帯から方形周溝墓群が発見されて、年代的にも同時代であることが確かめられ、環濠集落(大塚遺跡)に住んだ人びとの墓地であることが明らかになった。

弥生時代の大規模な環濠集落が完全な形で発掘されたのは極めて稀有な例である。
両遺跡の全体像が明らかになった結果、居住域と墓域が一体的に把握できる貴重な遺跡であるとして1986年(昭和61年)1月31日に国の史跡に指定された。

Iさんが驚いたのは、茅ヶ崎中央の杉山神社に行った時の写真を探していると、





撮った時間が、午後2時くらいだったそうで、まさかのガクブルだったようです。

6年前も「子供の日」の祝日で、広い公園には家族連れが多かったです。
今回もそんな中で、彼は杉山神社と遺跡を巡っていました。












同じ日だったのかと私はやっぱり感慨深く思いました。
今は、夫の介護で気軽にどこにも行くなくなってしまったし、一緒に行っていた、いくちゃんも今はいないですからね。

やっぱり、その時その時はかけがえがないことで、大事にしたいと改めて思いました。
Iさんも、この時のことは記事にしていました。


🐷 杉山神社徒然



🐷 杉山神社徒然 2



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