2月9日は、私の部屋の引っ越し日でした。
少し前に記事にした通り、2月1日に最寄り駅の上大岡の駅近くのアパートを契約したからですね。
★私のこと その2
https://blog.goo.ne.jp/nonahouse/e/0534e4cef25ba365e52450d17c6b830f
それに向けて、夫が住んでいた部屋の荷物を1月中はずっと片付けていました。
ひたすらがんばっていた時に、ふと気付いたのは、ダンボール箱は40個ではなく、60個あったことでした。
夫の洋服や革靴などは、捨てるのに忍びないので、「古着でワクチン」で、佐川急便に持って行ってもらい、運べるような物は私の元々の部屋に運び、引っ越し業者をどうしようか?とネット検索して割と近くにあり、クチコミの良かったところに電話して、見積もりに来てもらいました。
暮れに妹家族と、伊豆を旅行した時に一緒に来ていた次男のゆー君に手伝いをお願いしていたのです。
というのは、夫が入院している間に変更になったりして部屋の半分くらいになるほど置かれていた沢山のダンボール箱の処分が一番気に掛かっていたからですね。
ねぇ、ゆー君アルバイトしない?
日当払うからさ。
ダンボール箱が40個くらいあるのよ。
と、いう誘いにゆー君はしぶしぶ来てくれました。
いつも、妹夫婦が一緒だったのに、初めて一人で電車を乗り継ぎ、来てくれたのは1月9日の午前11時くらいでした。
まず、二人でダンボール箱に4個ずつ入っている透析液(2キロ)を取り出して、机に並べそれを私が1つずつ端を切って中身をトイレに流し、ゴミ袋に捨てるという一連の動作を黙々とやり続けました。
ダンボール箱は、ゆー君がいくつかでまとめて、ビニール紐で束ねていきます。
始めは、慣れない感じでしたが、段々上手く出来るようになって昼も過ぎたので、近くにある回転寿司に行って、
好きな物食べていーよー!
と言いましたが、二人で面と向かって話すのは、実は初めてのことでした。
妹には、子供が3人いますが、上の2人は年子で生まれ、ゆー君は一番上の長女の一回り下なので、妹夫婦も彼のお陰で若くいられるのかと、思っています。
彼は、しばらく勤めていたのですが、今は求職中なので、私がアルバイトに誘ったのですね。
そして、食事後も、ひたすら2人でがんばりました。
夕方には、ゴミ袋とダンボール箱はこんな感じになりました。
ひたすらがんばっていた時に、ふと気付いたのは、ダンボール箱は40個ではなく、60個あったことでした。
本当に、迷惑なおばさんですね。
しばらくぶりに見た、ダンボール箱のない部屋の角です。
私が、仲間の人達にこのダンボール箱の話をしていたので、「手伝いに行きますよ」と、何人かの人が言ってくれたのですが、本当に優しい人達でありがたいと思っています。
ゆー君のお陰で、1日で片付けられたのは、私にとってかなり心の負担が消えました。
夫の洋服や革靴などは、捨てるのに忍びないので、「古着でワクチン」で、佐川急便に持って行ってもらい、運べるような物は私の元々の部屋に運び、引っ越し業者をどうしようか?とネット検索して割と近くにあり、クチコミの良かったところに電話して、見積もりに来てもらいました。
運んでもらう家具と、廃棄にしてもらう家具と、話し合いをして金額が決定して、日にちを決めることになり、冒頭の2月9日になったのですね。
2月9日は、とても天気の良い日で助かりました。
と、いうのは、その少し前に関東でも広範囲で雪が降っていたからですね。
業者の人達は3人で来てくれて、とても丁寧に作業してくれました。
私が、
今日は、天気が良くて良かったわ。
雪の日も、引っ越しはあったの?
と、聞くと
一番若い男性が、
大きくうなずき、ベテランの男性が、
泣いたよな。
彼は、コケたし。
と、言ったので、
本当に大変だったようですよ。
引っ越し先が、鎌倉の山の上だったので、家具を運んでいる時にコケて、家具の下敷きになったらしいです。
引っ越しを頼んだ人も、夜遅くにやっと着いたとのことで、疲れ切ったと言っていました。
だから、私の引っ越しはそれほど荷物もなくて、楽だったようです。
私としては、今まで捨てられなかった品物も、廃棄で持って行って貰えて、本当に助かりました。
新しいアパートの部屋には、もう何人かの方がセッションで来てくださり、落ち着いて話が出来るようになって良かったです。
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