私達は宝物殿を出た後に、Iさんが感じていた天照大御神を奉っている「雨宝堂」のところで、祝詞を挙げることにしたのですが、丁度この時には社(やしろ)は修復中で正面に行けなかったので、一番近くの三重の搭のところに、言われていたミカンとお酒を供えて、Iさんのアマテラス祝詞をみんなで聞いていました。
舟廊下を渡り、本殿の先には龍神拝所があり、ここで願い事と名前を書いた「カワラケ」を下のところにある鳥居に向かって投げて、鳥居を「カワラケ」がくぐったら願い事が叶うのだそうです。
港に向かって階段を降りて行きました。
私達が港に着くと、琵琶湖に光の柱が沢山立っているのが見えて、みんなで感動していました。
船に乗ってからもずっと光の柱は続いていて、やっぱり少しずつ無理をして、7人みんなで集まれたことを喜んでもらったと思いました。
遠ざかっていく、竹生島です。
伊吹山も見えました。
私達は、長浜港に着いて
私は、竹生島はお寺と神社が別々にあるので不思議だと思っていました。
そしてこれは、明治時代に変わったのだということが調べてよくわかりました。
この指摘があるまで、都久夫須麻神社はその存在が全く忘れられてしまうほど宝厳寺の一部と化していた。
ただし、宝厳寺は日本全国の崇敬者の強い要望によって廃寺を免れ、寺院と神社が並存することとなった。
だそうです。
都久夫須麻(つくぶすま)神社の唐門も、修復中でした。
舟廊下を渡り、本殿の先には龍神拝所があり、ここで願い事と名前を書いた「カワラケ」を下のところにある鳥居に向かって投げて、鳥居を「カワラケ」がくぐったら願い事が叶うのだそうです。
下を見ると、沢山の「カワラケ」が落ちていました。
私も、一応がんばって投げましたが、二枚共ほとんど真下に落ちていきました。
みこちゃんの「カワラケ」は、しっかり鳥居をくぐったそうですが、他に誰も見てなくて、ちょっとかわいそうでした。
彼女の願い事が叶うといいですね。
港に向かって階段を降りて行きました。
国宝の舟廊下の下は清水寺のような作りですね。
私達が港に着くと、琵琶湖に光の柱が沢山立っているのが見えて、みんなで感動していました。
船に乗ってからもずっと光の柱は続いていて、やっぱり少しずつ無理をして、7人みんなで集まれたことを喜んでもらったと思いました。
遠ざかっていく、竹生島です。
「ひょっこりひょうたん島」のようだと言ったら、笑われました。
伊吹山も見えました。
私達は、長浜港に着いて
長浜の町で、ご飯を食べることにしましたが、もう午後2時を過ぎていました。
続きます。
今思うと、ギリギリのタイミングでした。
4月の始めに四国に行って欲しいと言われたのは、その後に動けなくなるのがわかっていたからかもしれませんね。
竹生島については、以前から話ばかりで、実際に行くことが出来て、本当に良かったと思いました。
いつも、ありがとうございます。
観光案内にはないお話が知られて感慨深いです。
光の柱いっぱいの写真も不思議で感動ですね~
いつもありがとうございます(^^)