「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
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竹生島 その3

2020-04-29 07:30:00 | 日記
私達は宝物殿を出た後に、Iさんが感じていた天照大御神を奉っている「雨宝堂」のところで、祝詞を挙げることにしたのですが、丁度この時には社(やしろ)は修復中で正面に行けなかったので、一番近くの三重の搭のところに、言われていたミカンとお酒を供えて、Iさんのアマテラス祝詞をみんなで聞いていました。



私は、竹生島はお寺と神社が別々にあるので不思議だと思っていました。

そしてこれは、明治時代に変わったのだということが調べてよくわかりました。


明治時代になろうという時代、新政府は国家神道の成立を図って神仏分離を推し進め、廃仏毀釈運動に発展した。
竹生島も影響を免れ得ず、大津県庁は宝厳寺を廃寺にして神社としたうえで社名を『延喜式神名帳』から採った「都久夫須麻神社」に改めるよう命じた。
この指摘があるまで、都久夫須麻神社はその存在が全く忘れられてしまうほど宝厳寺の一部と化していた。
ただし、宝厳寺は日本全国の崇敬者の強い要望によって廃寺を免れ、寺院と神社が並存することとなった。
1874年(明治7年)に都久夫須麻神社と宝厳寺の境界が決められ、1883年(明治16年)に両者の財産が区別された。
以降、都久夫須麻神社と宝厳寺は別の宗教法人となっているが、今日でも都久夫須麻神社の本殿と宝厳寺の観音堂は舟廊下で直接連絡しており、両者は不可分のものとなっている。


だそうです。


都久夫須麻(つくぶすま)神社の唐門も、修復中でした。





舟廊下を渡り、本殿の先には龍神拝所があり、ここで願い事と名前を書いた「カワラケ」を下のところにある鳥居に向かって投げて、鳥居を「カワラケ」がくぐったら願い事が叶うのだそうです。

下を見ると、沢山の「カワラケ」が落ちていました。
私も、一応がんばって投げましたが、二枚共ほとんど真下に落ちていきました。

みこちゃんの「カワラケ」は、しっかり鳥居をくぐったそうですが、他に誰も見てなくて、ちょっとかわいそうでした。
彼女の願い事が叶うといいですね。





港に向かって階段を降りて行きました。
国宝の舟廊下の下は清水寺のような作りですね。



私達が港に着くと、琵琶湖に光の柱が沢山立っているのが見えて、みんなで感動していました。





船に乗ってからもずっと光の柱は続いていて、やっぱり少しずつ無理をして、7人みんなで集まれたことを喜んでもらったと思いました。



遠ざかっていく、竹生島です。
「ひょっこりひょうたん島」のようだと言ったら、笑われました。



伊吹山も見えました。





私達は、長浜港に着いて
長浜の町で、ご飯を食べることにしましたが、もう午後2時を過ぎていました。


続きます。




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2 コメント

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Unknown (nonahouse)
2020-05-12 10:00:36
アンネンさん、おはようございます。

今思うと、ギリギリのタイミングでした。
4月の始めに四国に行って欲しいと言われたのは、その後に動けなくなるのがわかっていたからかもしれませんね。

竹生島については、以前から話ばかりで、実際に行くことが出来て、本当に良かったと思いました。

いつも、ありがとうございます。
返信する
すごいタイミングで行かれましたね! (アンネン)
2020-05-10 13:39:37
昨年、竹生島に行ったのですが、nonahouseの内容が頭から抜けていて面向不背の球を見ずじまいで勿体ないことをしました…orz  確かにひょっこりひょうたん島でした。
観光案内にはないお話が知られて感慨深いです。
光の柱いっぱいの写真も不思議で感動ですね~
いつもありがとうございます(^^)
返信する

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