「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

2月24日に

2022-04-18 07:30:00 | 日記
セカヒロ「魂の会」は、3月27日(日)の話でしたが、大体まとめることが出来たので、2月に遡ります。

以前に記事にした通り、今年になって私の夫の入院期間は、《1月12日から1月25日》と《2月22日から3月4日》の2回ありました。


🐶 私の超現実の話 その後


1月に熱海のマンションに泊まっていた時は、小田原城や富士吉田の北口本宮冨士浅間神社に行ったことを記事にしていました。

2回目の入院の時は、2月23日から26日まで熱海に泊まっていました。

また、Sさんを誘って湯治の生活をしていたのですが、昼間はSさんが車で走ってくれて、いろいろな神社に行っていました。

24日の朝日。



この日は、夜にSさんの家で鍋の用意をしてくれていたので、昼間はどこかに行こうと車を走らせて、

小田原と湯河原は、どっちがいい?

とSさんに言われて、振り子で聞いてみると、「湯河原」との答えだったので、まずは五所(ごしょ)神社に向かいました。

私は今年もNHKの大河ドラマを観ていて、すっかり「鎌倉殿の13人」ゆかりの旅になりました。

五所神社では、土肥一族の土肥実平(どひ さねひら)の幟(のぼり)がはためいていました。



駐車場の入口にある、樹齢800年の大きな銀杏の木。
丁度、女性が下を歩いていたので、かなり大きいことがわかります。



この日は、平日だったので、駐車場には、初め私達の車だけだったのが、あっという間にいっぱいになってしまって、やっぱりブームになっているのですね。

駐車場の看板を見ると、「五所神社七福神」と書いてあったので、配置図を見ながら、全部撮影しましたよ。




七福神の布袋様は、道路を渡ったところにり、ここには大きな楠木(くすのき)がありました。
看板には「明神の楠」と書いてあり、史蹟になっています。







後ろ側は、こんな感じです。



そこから見た五所神社の鳥居。




拝殿で、お参りしました。


1300年前の創建とのことで、とても古い神社ということですね。



神社の境内にあるご神木の楠木も、パワーがありますね。
しばらく、葉が風に吹かれる様を見ていました。

以前にIさんが五所神社に行った帰りに、小田原でカラスの大群に出会った話は聞いていたので、私も実際に行けて良かったと思いました。
記事を検索してみると、2020年の暮れの話だったのですね。
確かに写真を見ると、尋常ではないカラスの数でした。




🐶 暮れに話したこと

五所神社の次に行ったのは、ナビで見た五郎神社でした。


続きます。

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春分の日の次の日の話

2022-04-16 07:30:00 | 日記
私とIさんが、春分の日(3月21日)に寒川神社に行った次の日に話してきたのは、やっぱりタセツの神(宇摩志阿斯訶備比古遅神)でした。


タセツの神だ。
昨日は、寒川神社に私とノラタの神が行ったよ。

帰る時に見えた雲ですか?
Iさんが、大きくて強いパワーを感じていましたよ。

そうだな。
アストロンだから、大きいのだ。
ウーーーークライナは、悲しいことだな。
ロシア帝国と言われていた時もそうだったが、あの土地は元々の土地だからな。
血ーーーーと血で洗う戦いは、ずっとあったのだよ。
爆弾が出来たから、昔のようでなく、一編に沢山の人達が犠牲になってしまうからな。
日本が、かつてそうだったように。。。
ツンドラには、人は住めないからロシアの領土は広いようで狭い。
テラ(地球)が終わらないで欲しいが、神にはどうすることも出来ないのだよ。
人間の暴走は、止められないからな。
M子は、プーチンに話し掛けているだろう。

はい。

続けたらいいよ。
潜在意識にね。
利他の心で頼んだよ。


プーチンに話したらいいよと言ったのは、ゼウスでした。
それは、2月28日のことでした。


ゼウスは、コロナウィルスの流行に対して話してきた後に、


ロシアとウクライナは、戦争している場合ではないのにな。
ウクライナは、キエフが中心だろう。
キエフには、元のロシア(キエフ大公国?)があったのだ。
今は、そこが破壊されようとしているので、残念だと思うよ。
プーチンは、まだ止めないだろう。
プーチンと話してみたらいいよ。


と言ったので、私は潜在意識に「戦争を止めてください」と言ってみたのです。

あくまでも、潜在意識の話しなので、顕在意識とは違うのだと思いますが、プーチンさんらしい人の言っていることが、その後テレビで観ていた解説の通りだったので、やっぱりプーチンさんの潜在意識なのかな?とは思っています。

2月24日に始まった戦争は、まだまだ続くのでしょうか。。。
神様達が言っていたように、人間の暴走を止めるのは、人間でしかないのでしょうか。

第二次世界大戦が終わって、たった70年余りしか経ってないのに、地球上に戦争は常に起こっているのだと思いました。


3月22日のタセツの神の次に話してきたのは、いつも奈良のキトラ古墳に一緒にいると言っていたノラタの神(神産巣日神)でした。

ノラタの神も、本当に初期の頃から話していて、私が振り子で話が出来るのは、松果体(しょうかたい)に伝わるからと聞いているのですが、その松果体を磨いている神様なのです。

2012,2,12の記事で、そのことを言っているのですが、この時からタセツの神と仲がいいとのことでした。


🐶 ノラタの神 その2



ノラタの神だ。

お久しぶりです。

いつもM子の松果体は磨いているよ。

ありがとうございます。

昨日は、春分の日だったからな。
寒川神社に行ったよ。
Iにありがとうと伝えてくれ。
しーーーーんじてくれて、ありがとうとね。
M子の話は、時を越えているからな。


さて、私は寒川神社で今回「御来光守」を10個求めました。


丁度、この頃福岡のSさんからいただいた羊羹と共に写した桃色のお守りです。
お守りは、記事にした通り北海道のOご夫妻の娘さんのモモちゃんのためにでしたが、それ以外は、仲間のみんなに郵送で送ったりしていました。

3月27日の「魂の会」に、Oご夫妻はいらしたので、お守りをお渡しすることが出来ました。
今回、岩手のあくえりさんは暮れにお母様が亡くなって丁度納骨になって来られなくなってしまったので、彼女にひとつ。
そして、「魂の会」の少し前にスルメちゃんお母様が入院して来られなくなってしまったので、彼女にひとつを郵送で送りました。

後ひとつをどうしようか?と思ってミクネの神(天之常立之神)に聞いてみると、


アリカに渡せばいい。


と、言われました。
アリカさんのお姉さんのアミさんは、「魂の会」に来てくれましたが、アリカさんは暮れに出産したので、来られませんでした。

本当に、待望の赤ちゃんだったので、私も良かったと思っていたのですが、新しい命のためにということみたいでした。

みんな生きていると、いろいろなことがありますが、ひとりではないし、助けて貰いながら生きていけばいいのだと思います。


そして「魂の会」の次の日の3月28日に話してきたのは、ミクネの神でした。


ミクネだ。
昨日は、楽しく出来て良かったな。

はい。

友達がそれぞれ出来ていくのがいいのだよ。
M子は繋ぎになればいい。
人生は、長くはないのだからな。
人の繋がりが豊かにするよ。
サン(スサノオノミコト)が言っていた通りだ。
持って行けるのは「愛」しかないからな。
「愛」が多いほど、霊格は上がるよ。


私もいつまで生きていけるかはわかりません。
そう思うと、本当にその通りだと思いますね。

最後にIさんの記事で締めます。


🐷 御来光守


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春分の日の寒川神社 その3

2022-04-13 07:30:00 | 日記
寒川神社の「神嶽山神苑」の一番奥にある、「方徳資料館」に、3年前初めて入った時に、天井にある星縮図に見覚えがあり、それが「キトラ古墳」との繋がりで、本当に驚きました。


あぁ、だからキトラ古墳にいつもいると言っていたタセツの神(宇摩志阿斯訶備比古遅神)が寒川神社にたまに来ると言ってきたのかと、私は納得してしまいました。
タセツの神は、二階層の神様で本当に初期(2012年頃)から話しているのです。


🐶 寒川神社の話



そして、ここには私の前世だったと何度か言われている武田信玄が奉納した兜も展示しているのですね。


もちろん、その時の記憶は全くない私ですが、やっぱり意識してしまいます。

その後「方徳資料館」を出てぐるっと池を見ながら帰りました。







そして「神嶽山神苑」を出て駐車場に向かいました。
行きに駐車場から寒川神社の鳥居に向かって歩いていたのですが、いつもは先に寄る「宮山神社」は、お参りの行列が出来ていたので、断念したのです。
やはり寄ってから帰ろうとすると、午前中より長い行列が出来ていました。



宮山神社の鳥居を撮ったのは、12:42で、やっぱり日輪が見えていました。
私達は、しばらく行列に並んでお参りをして、駐車場に向かいました。




駐車場に着いてみると、空がスゴいことになっていて、時間を見ると、丁度13時でした。
Iさんが、

大山が見えているね。

と、言っていたので、写真を撮りました。写真の右側の三角の山が大山で、資料に因ると、夏至には寒川神社と「光の道」が繋がるのですね。


別の写真で拡大してみました。



帰りは、寒川駅だと電車の本数が少ないので、茅ヶ崎まで送って貰うことにして、走っていると、頭上に大きな雲が出てきて、Iさんは、神様を感じていたようです。





私ががんばって、車の中から撮った雲です。

茅ヶ崎の駅に着いて、Iさんとは別れ、途中下車で大船の商店街に行って、結構沢山野菜を買って帰りました。
主婦としては、たまに行きたくなる商店街ですね。

そして、次の日に話してきたのは、タセツの神でした。


続きます。

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春分の日の寒川神社 その2

2022-04-11 07:30:00 | 日記
私が寒川神社に行くのは、3回目になります。
以前、記事にしたのは、ずいぶん前の1回目の話ですが、昨年の7月にいくちゃんの病気が進行していたので、助けたいと思った仲間みんなでご祈祷をして貰いに行っていたのです。


🐶 寒川神社の神様



その日は、雨が降っていてご祈祷にいらっしゃる方もそれ程ではなかったのですが、今回は、本当に沢山の方が受付で行列していました。



寒川神社の狛犬は、スゴく大きいのですね。



やっぱり特別な日なのでか沢山の方々がお参りにいらしていました。
私は、限定の「ご来光守」の列に並んでいました。




一緒に並んでいたIさんが、

コニャ(奥さん)にもだな、、、

と、言っていて愛を感じましたね。
私は、とりあえず10個求めました。

ここでは、一緒に「光の道」についての資料も配っていましたよ。(表裏の図です)



昨年の秋分の日の話から、北緯35°の線上の話がまだ続いていたということですね。

Iさんは、以前に来た時にお祓いに使う鈴を求めていて、その赤い紐が毎日使っているので、黒ずんできてしまったということで、今回は新しい鈴を求めていました。

それを持って拝殿の前に、ハムカツサンドとお酒を供えてご挨拶しました。



この後、「神嶽山神苑」に向かったのですが、キレイな桜が咲いていました。
「彬姫桜(あきひめさくら)」だそうです。



「神嶽山神苑」へは、いつもより沢山の人達が入苑されていました。



しばらく歩いていくと、神域の場所に入り、空気が変わりました。
ここで、ご挨拶をしました。



ここから奥に、池があり、真ん中の石からは、水がコンコンと湧いていました。



空を見上げると、やはり日輪が見えていて
時間は、12:12でした。
寒川神社に着いた時から、日輪はずっと続いていたのだと思いました。


そこから奥に向かって行くと、いつもは人気(ひとけ)のない御祖神社(みおやじんじゃ)にお供え物が沢山あり、そこにいらした若い神職の方にお聞きすると、1時からお祭りが始まるとのことでした。




神職の方の横にあるのは、太鼓だそうですよ。

私達は、一番奥にある「方徳資料館」に入って行きました。


続きます。


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春分の日の寒川神社

2022-04-09 07:30:00 | 日記
話は、セカヒロ「魂の会」の少し前の春分の日(3月21日(月))に遡ります。

昨年の秋分の日は、リラトモ会のみんな(Iさん、K会長、Sさん、みこちゃん、私)で、山梨県の七面山に行っていました。

なぜ、七面山に行ったかというと、春分の日と秋分の日に太陽が通る道に七面山があったからですね。

Iさんは特に、太陽が通る道で行っていなかった要所の最後の場所だったし、K会長にとっては愛する富士山の次に通る要所で、この日は前日の嵐のような雨の中を、七面山に登ってくれていて、滅多に見ることの出来ない富士山から上がるご来光を写真に納めてくれました。





🐶 奇跡のダイヤモンド富士


そして、昨年の10月の中頃に、今回「魂の会」にもいらしてくれた北海道のOご夫妻が、お仕事で東京にいらっしゃることになり「蒼いとびら」のセッションに来てくださいました。

その時に、せっかくなので寒川神社に行きたいとのことで、寒川神社のお守りの色を家族全員の分聞いて行かれました。
Oさんのご家族は、前回の通り全員で8人になりますね。

その中でお嬢さんのモモさんだけ、「桃色」と言われていたのですが、寒川神社のお守りに桃色はないことがわかり、代わりに「鈴」と言われていたのです。

私は、寒川神社のお守りを調べていて、秋分の日と春分の日にだけ出している「桃色のお守り」があることがわかり、この時次の春分の日には、寒川神社に行こうと決めていました。

今回「魂の会」に来て下さった若い男性のKTさんは、昨年の6月にお母様とお姉様がセッションにいらしてくれて、7月にそのお姉様が弟さんを連れていらしてくれた、その弟さんなのですが、ご家族で寒川神社によく行かれるそうで、その時に「神嶽山神苑(かんたけやましんえん)」の入苑券を下さったのです。



私はそういう訳で春分の日に使わせていただこうと大事に持っていました。

3月21日に、寒川神社に行く人がいるかを「リラトモ会」のグループラインに送りましたが、みんなそれぞれ予定があるとのことでした。
Iさんだけは何年前かに求めたお祓いの鈴を替えたいとのことで、一緒に行ってくれることになりました。

当日の午前10時に彼と寒川駅で待ち合わせしたのですが、私の家からだと茅ヶ崎からJRの相模線で行くのに本数がなくて、15分くらい遅れてしまいました。

Iさんは、以前に来た時に「カツサンド」が欲しいと神様に言われていたことを覚えていて、近くにある豚カツの「水龍」さんの開店時間まで「コメダ珈琲店」に行こうとまずはそちらに向かいました。





「コメダ珈琲店」の有名な「シロノワール」ですね。

Iさんには、特に詳しい話をしていなかったので、この時に北海道のOご夫妻の話などをしていると、

あー、だからスゴく混んでいるのか。
道が混んでいたから、なんでかと思っていたんだ。

と言っていました。

K会長は、実は夜中に七面山に登っていたのですね。

秋分の日と違って、ものスゴい寒さだったようで、人のいない真っ暗な山道を登っていたのです。





朝に送られてきた写真を見ても、寒さが伝わってきますね。

11時になったので、「水龍」さんに行くと、テイクアウトの「カツサンド」を作るのに、30分は掛かると言われて、断念して近くのコンビニで「ハムカツサンド」を買って、寒川神社に向かいました。

Iさんが言っていた通り、寒川神社に向かう道には、沢山の人が歩いていて、駐車場もかなりいっぱいになっていましたが、何とか停めることが出来て、空を見ると、日輪が出ていました。
写真を撮った時間は、11時半の少し前でした。





そして、鳥居をくぐって拝殿の方に向かいました。


続きます。


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