「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

引っ越しの話

2024-03-13 07:30:00 | 日記
2月9日は、私の部屋の引っ越し日でした。

少し前に記事にした通り、2月1日に最寄り駅の上大岡の駅近くのアパートを契約したからですね。


★私のこと その2

https://blog.goo.ne.jp/nonahouse/e/0534e4cef25ba365e52450d17c6b830f


それに向けて、夫が住んでいた部屋の荷物を1月中はずっと片付けていました。

暮れに妹家族と、伊豆を旅行した時に一緒に来ていた次男のゆー君に手伝いをお願いしていたのです。
というのは、夫が入院している間に変更になったりして部屋の半分くらいになるほど置かれていた沢山のダンボール箱の処分が一番気に掛かっていたからですね。


ねぇ、ゆー君アルバイトしない?
日当払うからさ。
ダンボール箱が40個くらいあるのよ。


と、いう誘いにゆー君はしぶしぶ来てくれました。
いつも、妹夫婦が一緒だったのに、初めて一人で電車を乗り継ぎ、来てくれたのは1月9日の午前11時くらいでした。

まず、二人でダンボール箱に4個ずつ入っている透析液(2キロ)を取り出して、机に並べそれを私が1つずつ端を切って中身をトイレに流し、ゴミ袋に捨てるという一連の動作を黙々とやり続けました。

ダンボール箱は、ゆー君がいくつかでまとめて、ビニール紐で束ねていきます。

始めは、慣れない感じでしたが、段々上手く出来るようになって昼も過ぎたので、近くにある回転寿司に行って、


好きな物食べていーよー!


と言いましたが、二人で面と向かって話すのは、実は初めてのことでした。

妹には、子供が3人いますが、上の2人は年子で生まれ、ゆー君は一番上の長女の一回り下なので、妹夫婦も彼のお陰で若くいられるのかと、思っています。

彼は、しばらく勤めていたのですが、今は求職中なので、私がアルバイトに誘ったのですね。

そして、食事後も、ひたすら2人でがんばりました。
夕方には、ゴミ袋とダンボール箱はこんな感じになりました。





ひたすらがんばっていた時に、ふと気付いたのは、ダンボール箱は40個ではなく、60個あったことでした。
本当に、迷惑なおばさんですね。
しばらくぶりに見た、ダンボール箱のない部屋の角です。




私が、仲間の人達にこのダンボール箱の話をしていたので、「手伝いに行きますよ」と、何人かの人が言ってくれたのですが、本当に優しい人達でありがたいと思っています。
ゆー君のお陰で、1日で片付けられたのは、私にとってかなり心の負担が消えました。

夫の洋服や革靴などは、捨てるのに忍びないので、「古着でワクチン」で、佐川急便に持って行ってもらい、運べるような物は私の元々の部屋に運び、引っ越し業者をどうしようか?とネット検索して割と近くにあり、クチコミの良かったところに電話して、見積もりに来てもらいました。

運んでもらう家具と、廃棄にしてもらう家具と、話し合いをして金額が決定して、日にちを決めることになり、冒頭の2月9日になったのですね。

2月9日は、とても天気の良い日で助かりました。
と、いうのは、その少し前に関東でも広範囲で雪が降っていたからですね。

業者の人達は3人で来てくれて、とても丁寧に作業してくれました。

私が、

今日は、天気が良くて良かったわ。
雪の日も、引っ越しはあったの?


と、聞くと

一番若い男性が、

大きくうなずき、ベテランの男性が、

泣いたよな。
彼は、コケたし。

と、言ったので、
本当に大変だったようですよ。
引っ越し先が、鎌倉の山の上だったので、家具を運んでいる時にコケて、家具の下敷きになったらしいです。

引っ越しを頼んだ人も、夜遅くにやっと着いたとのことで、疲れ切ったと言っていました。

だから、私の引っ越しはそれほど荷物もなくて、楽だったようです。

私としては、今まで捨てられなかった品物も、廃棄で持って行って貰えて、本当に助かりました。

新しいアパートの部屋には、もう何人かの方がセッションで来てくださり、落ち着いて話が出来るようになって良かったです。


セッションや塩については、

💐mikunenona@gmail.com💐

に、ご連絡くださいませ。


↓ランキングも、ポチッとお願いします。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川崎大師に行きました

2024-03-09 07:30:00 | 日記
1月28日(日曜日)は川崎大師にIさんと行きました。
彼は、お札を替えるためですが、私は昨年の末に夫の部屋に置いてあった、病気平癒のお守りなどが、パワー0(ゼロ)になってしまったので、それらを持って行きました。


10時の護摩焚きに合わせて待ち合わせをしたので、川崎大師駅から向かっている途中で、いきなりの地震があって、ビックリしました。

記事にするので調べてみると、東京湾が震源の地震だとわかりました。


🌟28日(日)8時59分頃、東京湾を震源とするマグニチュード4.8、深さ約80kmと推定される地震が発生しました。
この地震で東京都中央区、港区、渋谷区、調布市、町田市、神奈川県横浜市、川崎市などで最大震度4、関東の広範囲で震度3の揺れを観測しています。



かなり、広い範囲で揺れていたことがわかりますね。
川崎大師の近くも、短いけどドン!という縦揺れでした。
待ち合わせには私の方が早く着きましたが、川崎大師はかなりの人達が集まっていて、やっぱり1月中はお参りに来られる人が多いのだと思い、以前に「魂の会」をした日を思い出していました。







★セカヒロ「魂の会」in 川崎大師

https://blog.goo.ne.jp/nonahouse/e/b5616e7a786426ddae884af3c47a1d13


「魂の会」を開催したのは2020.1.26でした。
この時は、まさかその後3年間にも渡るコロナ禍になるとは思ってもいませんでした。 

中国の武漢(ぶかん)で、何か病気が流行っているらしいというニュースが流れている程度でしたからね。

11時の護摩焚きにみんなで向かうと、あまりの混雑ぶりに驚いたのを覚えていますが、今回10時の護摩焚きでも、その時に近い程の方達が本堂の中に入っていて、やっと以前に戻ったのだと思いました。

境内には露天が沢山出ていて、買い食いしている人達は、楽しそうでした。

私は入口近くの「古札納所」で夫の部屋にあったお札やお守りをお返しして、Iさんは新しいお札の申し込みをしてから、本堂に向いましたが、私の部屋にあったいつも替えている御朱印は前回が3月30日だったので、空海に聞くとまだいいと言われました。
この記事は3月に作っているので、今月は行くつもりでいます。

パワーと言えば、私の部屋と夫の部屋と熱海の部屋の四隅に毎月塩を置いていますが、夫の部屋には2月始めに中を片付けたので、滅多に行かなくなり、3月1日に、塩のパワーを観てみると、それまではプラス80になっていたのですが、プラス70から上がらないことがわかりました。

置いていたお札は、パワーゼロになっていたのですが、塩も私がいないので、パワーが上がらないのかと思っています。

上大岡のアパートに置いた塩が今後どうなるか?を観ていこうと思っています。



さて、護摩焚きが終わり、私達はいつも行っている不動堂に寄り、橋を渡って薬師如来のいる薬師殿に行きました。



薬師殿では、ある方の娘さんのために「なで守り」を求めて、Iさんが車を停めていた駐車場に向いました。

彼は実は私より早く来ていて、駐車場を確保して、お酒を買ったりしている時に地震がきてビックリした話をしていました。

短い揺れでホッとしましたが、やっぱり地震は怖いですね。


↓ランキングも、ポチッとお願いします。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安比高原と岩手山

2024-03-04 07:30:00 | 日記
今年は、暖冬でスキー場には雪がないと、Iさんが嘆いていました。

それでも、1月の終わり頃に岩手県の仕事を絡めて、安比高原スキー場に行っていました。

その時に撮った写真が送られてきて、一体どなたなのか?と言われたので、ミクネの神(天之常立之神)に聞いてみました。

 
これは、スーーーミーーーーで消された稲荷だよ。
キツネが後ろ向いているよ。


これは、「鷲の尾」の神だよ。
大鷲の水が湧いているのだよ。
「鷲の尾」の神は岩手山の神だよ。


Iさんは、お酒を持って山頂近くの木の根元に置いていました。


これに反応したのは、グループラインで話していた岩手県在住のあくえりさんでした。

Iさんが置いたお酒は、「鷲の尾」というお酒だったのですね。
下の字がラベルに書いてあるのですが、Iさんは雰囲気で選んていたようで「鷲の尾」と書いてあるとは思わなかったそうです。

私も、もちろん知りませんでしたが、このお酒を調べてみると、ミクネの神が言っていた通りだったので、やっぱりビックリしました。


🌟西根町の地酒「鷲の尾」は文政十二年(1829年)に創業。
この酒名は大鷲が住んでいた巌鷲山(岩手山)の山麓から湧水する 清らかな水で醸造されていることから「鷲の尾」と命名されました。
また、早春の雪解けとともに山頂に大鷲が羽を広げたような残雪が くっきりと現れますが、この雪形から名づけられたとも伝えられています。

そして、安比山頂神社に祀られていたのは、田山稲荷神社から勧請されたとのことで、それも調べてわかり、Iさんは興奮していました。


画像は、お借りしました。


岩手山を調べてみると、


🌟裾野を広げた標高2038mの岩手山は、活火山として幾度も噴火を繰り返してきました。

別名「巌鷲山(がんじゅさん)」は、本来「いわわしやま」と呼ばれていましたが、「岩手」の音読み「がんしゅ」と似ていることから、転訛したものだとも言われます。

岩手山信仰の縁起は坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)に始まります。
延暦二十年(801年)田村麻呂が蝦夷征伐(えみしせいばつ)の功成って当地に三神を勧請。
国土の守護神となしたことが創始と伝えられます。


となっていて、あぁ、坂上田村麻呂が開いた神社になるのだと、私は思いました。

Iさんは、坂上田村麻呂だった記憶をいつも感じているので、今回岩手山へ行きたくなったのかもということですね。


すぐ後に、あくえりさんから盛岡にある櫻山神社に行った時の写真が送られてきました。




私は、この神紋を見た時に、

鷲なんだね。

と、入れると、


あくえりさんから

鶴、ですかね。

陸奥盛岡藩南部氏の定紋ということで『南部鶴』と呼ばれる。
源頼朝の奥州合戦の折に南部守行の陣中に2羽の鶴が舞い降り、その後、大勝したことに由来するという

だそうです。
鳥多いな。岩手。


と、返ってきて、私は「ルビンの壺」のように見てしまったことがわかりました。
あくえりさんは、ずっと鶴と思って見ていたので、とても斬新だと感じたようです。



Iさんも、鷲の正面にも見えると最近記事にしていました。


☆岩手山徒然

↓ランキングも、ポチッとお願いします。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする