すばるに恋して∞に堕ちて

新たに。また1から始めてみようかと。

終わって始まる。

2018-11-21 16:34:08 | 関ジャニ∞

GR8EST、大阪公演18日、オーラス。

縁をつないで頂いたおかげで、入ることが出来ました。

福岡から2ヶ月が経っていました。
(台湾は、行きませんでした、申し込みすらしませんでした)

その間に、6人でのお仕事が公開になるにつけ、
「どうしていない?」
「ここにいるはずだったのに」
「いないのはなぜ?」
ふつふつと湧き上がる思いに蓋をしていました。

どうして?と問うたび迷宮に入り、
いつから?と問えば、過去の映像がむなしく映る。

なにをしても、なにを聞いても、
大好きだった「7人」のあれこれが、この先に存在しないんだと認めるのが、
ずっと、ずっと、
怖くて、つらくて、しんどくて、悲しくて、寂しくて、やるせなかった。

変わらずに「6人」が、「関ジャニ∞」らしく前を向いてくれることにすら、
「ここに」を歌う姿にすら、
一抹の嫌悪感を抱いた瞬間もあり、

「7人」を壊したのが、すばるだったってことを認めたくなかった。
(他の誰でもきっと同じことは思ったんだろうとおもう)

ここを更新できずにいたのは、
上っ面の、ものわかりのいい「私」を演じてしまう気がしていたから。

今も、すばるが恋しいです。
ただ、ただ、恋しくて仕方ない。
今のすばるの声を、歌を聞けないことが苦しくて仕方ないです。
他人を心の支えにしてはいけないことなど、
この年齢まで来たら分かっていなくてはならなかったのに、
それすら気づかないまま、私はすばるに依存してた。

大阪公演を終えて帰るJRの中で、
「ものすごくフラットに、私はまだeighterを続けられる気がする」とつぶやきました。

すばるの「関ジャニ∞をよろしく」の言葉が無かったとしても、
「この6人が好きだな」って思いは私の中にしっかりとありました。

違和感は・・・当然ですが、あります。

許されようとは思わずに、正直に言えば。

すばる以外の声で「eighter!」と煽られても、血が逆流するような興奮は私にはまだ起きません。

果てしなく、いつ終わるともしれない一発芸に、
伸るか反るかの一言をぽん!と投げ込めるのはすばるだけだったろうし。
(彼がeighterの笑顔のためにやっているのは百も承知で言ってます)

ドームの天井を突き抜けていくほどの歌声を一瞬でもいいから感じたかったのも、
こんなにバラバラなまとまらない歌だったっけ?と思ったのも、本音です。

だけど、

「ここに」いる!と歌う彼らの「これから」を贔屓目でも上からでもなく、一緒に感じて、「6人」と歩んでいきたい。

そう思ったのも事実なんです。


かつて。
昔話をするなら。
仁がかつんをやめて5人のライブを観に行った時とは違う感情が私の中にあった。
あのままかつんの現場を離れても私に悔いはなかったけれど、
(←これはこれで、また別の次元の話になるのでやめます)

今「6人」から目を離しちゃいけない。

それがどういう感情によるものかの判断はついていません。

6人の誰かではなく、6人それぞれを同じように「好き」だと思う気持ち以外には説明がつきません。

フラットに、と言ったのはそのためです。

それじゃ、だめかなあ?
自担がいないと、応援しちゃダメかなあ?
すばる担が何を言ってんだか、って思われるかなぁ。

ちょっと、つらつらと、まとまりなく書き出したら、
本当にまとまりなくなりました。





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