すばるに恋して∞に堕ちて

新たに。また1から始めてみようかと。

ぐーぐるぐるぐる、同窓会旅行記

2017-03-12 22:55:41 | 日記
まったく。
ご無沙汰しておりました。
元気です。
はい。

いろいろ、ありまして。

凹むことから凸ることから、ええ。もう。なんというかな毎日ですが。

元気です、私も猫も、ばばーも(笑)

そんな中。
大学時代のゼミの同窓会がありまして、三重の湯の山温泉に行ってまいりました。

昨日土曜日の10時半「銀時計」集合←ここ大事。

せっかちな私は早めに着いておりまして、
トイレ行ったり買い忘れたものをドラッグストアに買いに行ってたりしてLINEを見てない間に。

「銀」を「金」と勘違いしてる人が居た(笑)

想定内の幕開けに、30年前のゼミ活動のあれこれがフラッシュバックするやらなんやら。

参加者8人、
とりあえず5人乗り1台は地元民が出してくれることになったので、
もう1台レンタカー借りてー、
高速乗ってー、
途中のローカル駅で1人拾うことになってたので、
そのローカル駅をナビ無し車側(以下・ネピア号)でスマホのぐーぐるナビに設定した、までは良かった。

高速乗るまでも、若干、?な案件は起きたけども、
その時点では気にもとめず。
四日市インターで降りたいのに、その手前で自然渋滞に合ったのはご愛敬。

インターで降りて、さて、右か左か。
ぐーぐるナビは右。
かたや後続レンタカー(以下・ゴインキョ号)のナビは左。

さあ、どーする。

ゴインキョ号の助手席から「どーすんの?」って問いかけられても、
とりあえず、ぐーぐるナビさんに従うしか手がないネピア号は迷わす右。

で、曲がって走り出した途端、
ぐーぐるナビさんが持論を撤回、「あんた間違ってるよー~~ん」とばかりに再建策を始めやがった(笑)

おい、おーーーい笑

検索しなおしの結果、走ったのはまさに地元民しか走らないような小道。

着くのか?
この道は合ってるのか?
ホントに目的地はこの先にあるのか?ダイジョブなのか?

不安すぎて誰となく笑い出すネピア号車内。

たぶん、後続ゴインキョ号の方が不安だったに違いない。

なにはともあれ、ローカル線路の脇の細道沿いに案内されて、
無事に駅に到着、
先に着いてるはずの待ち人とも、あれこれあったものの(←笑)無事に合流。

予定してたいちご狩りへ。



お写真、よく見るとね。
「本日終了」の看板。

・・・・・Σ(・ω・ノ)ノ!

予約なしでも大丈夫、摘んだ分だけお買取りないちご農園。
そんなこともあるのかも、ってあきらめかけたんだけど。

今回の幹事が上手に交渉してくれて、
(一応予めの電話連絡はいれてくれていたようで)
無事にいちご狩り出来まして。





真っ赤ないちご、食べる分だけ摘んで、これで360円。

満足、満足。

お次は、幹事オススメの自然薯料理のお店へ。



看板光っちゃってて店名読めませんが「茶々」さんです。



自然薯御膳。
たっぷりとろとろ、自然薯。
山盛りサラダ。
いちご食べたとこなのに、ご飯お替わり(←しないと自然薯がなくならない)、
満腹ぷくぷく。

仕事終わりから駆け付けてくる一人を湯の山駅で出迎えてお宿まで一本道。
(←再度、ここ重要)
ホテルへ上がっていく道が、とんでもなく坂道だったけども、
とりあえず、一本道(←あとで重要になってきます)



お宿着いて、
露天風呂入って、



早めにお夕食頂いて、



またまた高速引き返して「なばなの里」へ。



綺麗なしだれ梅やら。



なんやらかんやら←

自由人の多い集まり草鹿ゼミ、
最初は8人で移動してたのに、いつの間にやら一人減り二人減り
はぐれはぐれて(笑)

最終的に出入り口近くのおみやげ店で、どうにか全員集まりまして閉園時刻。

帰り道途中の深夜営業スーパーで酒とつまみ買い込んで、
お宿へ戻り・・・・
戻り・・・
戻り・・・・?

スーパーからお宿まで、一本道のはず。
迷うことは、たぶん、ないはず。

ネピア車が、ゴインキョ車のナビとは違う方向へ走っていくのは、なぜ?(笑)

夜道だから、ぐーぐるナビさんも迷ったの?
ねえ、この小道大丈夫?
いくら夜でも分岐点間違えることってあり?

不安になりながら着いていくゴインキョ車。

ホテルまでの坂道もないまま、突き進むこと5分。

暗闇に浮かび上がるホテルの駐車場!←

待て。マテ。まて。
坂道、どこ行った?
どういうことだ(笑)

ぐーぐる、ぐるぐる。
坂道回避の道があるなら、最初からこっちで良かろうに、
なぜに昼間の案内は坂道側を走ったんだ?

ぐーぐるぐるぐる、ナビ、ぐるぐる(笑)

ま、なにはともあれ。

真夜中男部屋に集合して、大学時代に製作した映画を鑑賞し、
メイキングも鑑賞。

前回の同窓会旅行時には参加してなかった主演女優と監督と音楽担当は、
卒業以来初めて見返したそうで、
それぞれが覚えてる撮影秘話やら裏話やらが次々にこぼれだし、
毎度同じシーンで爆笑するセリフとか映像とかを、
懐かしむやら、赤面するやら、笑い転げるやら。

8ミリフィルムをビデオテープに焼き直した段階で、かなり映像的に無理が出来てたのに、
それを再度DVDに焼き直してるので、
劣化のほどは否めないけど。

今では考えられないくらいいろんな場所でロケをしていて、
学内だけにとどまらず、ゼミ生の下宿や実家はおろか、
バイト先だったカフェや居酒屋、
大学近くの老人ホーム、お墓、
栄の地下街や七里の渡し、名古屋港に、鶴舞。
あげくは新幹線のホームや車内にまで。
今なら許可取るだけでも大変じゃない?って話もしたけど、
当時は監督も助監督もそれは困難じゃなかったって言うのが驚き。
むしろ、夜間撮影の照明当てるのに電柱よじ登った方が大変だったっていうんだから(笑)

メイキング見ながら、
私、当時はロケにあまり参加してなかった記憶があるけど、
それでも、裏方でご飯作ってたり、
隅っこで会計ノートつけてたり(←財政担当だった)してた。

音入れが間に合わなくて、
大学祭の上映にフィルム届かなくて、頭下げてた思い出とか、
打ち上げで女子全員、当時としては自身精一杯のドレスアップで参加してたりとか。

若気のいたり、ってなことも思い出したりしました(笑)

午前2時にお開きになったあとは、
冷えた体を温めるべく、温泉へ。

そこで、つらつらおしゃべりするに。

亡くなったゼミの教授の話になり。

個性豊かといえば聞こえはいいけども、
福祉を学ぶはずの、あの大学のなかにあって「文化論」ゼミを選択してくるような、
ある意味はみ出し学生を、
あまたのゼミ希望者の中から選びだし、
(ゼミ希望者が多いゼミは教授による面談があった)
卒業までよく指導したものだと感心することしきり。

というか、むしろ、こうるさい指導はせずに放任というか放牧し、
たまにお高い食事でゼミ生の胃袋つかんで手元に集める手法は、
珍しいお高い食事に飢えていた私たちゼミ生には、効果抜群だったといわざるをえない(笑)

なにしろ、ゼミ生全員が顔揃えたのは、卒論提出の日だけだったという逸話のある私たち、
他のゼミに行っていたら、おそらく馴染めずに単位も落としてたかもしれないと思うと。

教授ってすごい人だったんだね(ノД`)・゜・。という結論に至った夜でした。


すみません、続きは明日(;・∀・)



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