釋守成の転居物語(旧タイトル・GONTAの東京散歩)

またまた転居を目論んでいます。
5年間で5回の転居。
6回目の転居の経緯を書いていきます。

荒川堤五色桜(江北五色桜)

2013年04月05日 23時10分56秒 | お散歩日記/東京地名の話
今日は足立区にある都市農業公園にお散歩。

ここは交通の便があまりよくありません。

東武スカイツリーライン(伊勢崎線)の西新井からバスに乗るか、赤羽から大回りしてバスで行くかしかありません。

でも、ここにやってきたのは、ここが現在八重桜といわれている里桜(交配種)の大部分のふるさとだからです。

以前に書いたブログを再掲載します。

里桜の由来を調べていると「荒川堤」にあった桜という言葉がよく出てきます。
そういう意味で「荒川堤」は里桜の原点のような場所なのです。

明治19年(1886年)、江北村(現在の足立区江北付近)では、荒川(現在の隅田川)の堤防の改修工事にあたり、堤防の補強などを目的として、78品種3000本以上の桜を植樹しました。

当時、染井村の桜専門の植木業者が、あまり根が張らず、樹高も高くならない里桜を移植したそうです。

それらの里桜は、白あり紅色あり黄色あり紫ありで、あたかも五色の雲がたなびくように見えたために五色桜と呼ばれ、花の時期にはたくさんの人が集まる桜の名所になりました。

しかし、この桜たちは、受難の歴史を歩みます。

大正2年(1913年)、荒川放水路(現・荒川)の開削で、隅田川上流の流路が大幅に変わり、部分的に放水路の堤に残った桜もありましたが、移植や補植を経ることになります。

それにもめげずに工事途中の大正13年(1924年)に国の史蹟名勝天然記念物に指定されます。

しかし、戦中戦後、戦災の被害があり、手入れが行き届かなかったり、材木不足で切られたりして、昭和20年代にはほとんどなくなってしまったそうです。

実は明治45年(1912年)、ワシントンに渡った桜はこの荒川堤の桜だったのです。
そのときの桜の種類が12種類3000本、荒川堤の桜の枝が台木に接木されたものだったのです。

昭和27年(1952年)、足立区と東京都の希望がかなえられ、桜たちの里帰りが実現します。残念ながらこのときの桜はすべて枯死してしまったようです。
さらに昭和56年(1981年)、700本あまりの桜が里帰りを果たし、足立区各所に植えられているということです。





江北村にあった名勝の碑と解説版

江北村は、現在の都市農業公園よりも下流になります。

現在の都市農業公園には32種類82本の里帰り桜が植えられています。

まさしくいろいろな色です。



ホソカワニオイ(細川匂)・・・・白
ほのかに香りのする桜です。



ウコン(鬱金)・・・・緑・黄色
薄い緑から黄色、そして少し赤みがかった色に変化します。

濃い緑にはギョイコウ(御衣黄)があります。



スジャク(スザク・朱雀)とヒグラシ(日暮)・・・・桜色



ヤエムラサキザクラ(八重紫桜)・・・・紫

などいろいそな桜を見ることができます。

正しく五色桜です。

今日は天気が良くて汗ばむ陽気。

今年はどの桜も開花が早いようです。

桜を見たあとは鹿浜橋を渡って対岸を北上して岩淵水門までお散歩。

本当に初夏のようでした。






コメント (2)
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