庚申塔は、庚申塚ともいい、中国より伝来した道教の「庚申信仰」に由来します。
干支の庚申(かのえさる・こうしん)の日は、干・支ともに金性であることから、庚申の年・日は金気が天地に充満して、人の心が冷酷になりやすいとされていたそうです。
この日には、人間の体内に棲む「三尸」(さんし)という虫が、その人間が寝ている間に天帝に悪事を報告に行くという言い伝えがありました。
それを防ぐために、庚申の日には「庚申講」という集まりをもって、天帝(仏教では毘沙門天・帝釈天)や猿田彦や青面金剛(しょうめんこんごう)を祀って宴会をし、夜通し眠らなかったそうです。
画像は青山の庚申塔(所在地は西麻布)で、その庚申講を3年18回続けた記念に建立された庚申塔です。
庚申塔は街道沿いに置かれることが多く、道標が彫り付けられているのも多くあります。
青山の庚申塔は、慶応元年(1865)5月建立。村はずれの分かれ道に立てられたものです。
「右 あをやま 内とうしん宿 ほりのうち
左 二十きおくみ 百人おくみ ぜんこうじ」
漢字に直すと
「右 青山 内藤新宿 堀ノ内
左 二十騎御組 百人御組 善光寺」
建立した黒沢、山田両家のうち、山田家は現在も当初にお住まいです。
つぎの庚申塔は、板橋区本蓮沼駅そばの南蔵院の境内にあったものです。
青山のもと形が非常に似ていますね。
江戸時代には雛形のようなもの(図面)があって大量生産されていたのかもしれません。
こちらは葛飾区の木下川(きねがわ)薬師浄光寺の境内にあった庚申塔です。
青面金剛像の下には三猿が彫られています。
庚申から猿が連想され三猿が彫られているのです。
こちらの庚申塔の方が正式なものではないでしょうか。
仏教では天帝は帝釈天なので庚申の日は帝釈天のお祭りです。
柴又の帝釈天題経寺でも盛大にお祭りが行われています。
干支の庚申(かのえさる・こうしん)の日は、干・支ともに金性であることから、庚申の年・日は金気が天地に充満して、人の心が冷酷になりやすいとされていたそうです。
この日には、人間の体内に棲む「三尸」(さんし)という虫が、その人間が寝ている間に天帝に悪事を報告に行くという言い伝えがありました。
それを防ぐために、庚申の日には「庚申講」という集まりをもって、天帝(仏教では毘沙門天・帝釈天)や猿田彦や青面金剛(しょうめんこんごう)を祀って宴会をし、夜通し眠らなかったそうです。
画像は青山の庚申塔(所在地は西麻布)で、その庚申講を3年18回続けた記念に建立された庚申塔です。
庚申塔は街道沿いに置かれることが多く、道標が彫り付けられているのも多くあります。
青山の庚申塔は、慶応元年(1865)5月建立。村はずれの分かれ道に立てられたものです。
「右 あをやま 内とうしん宿 ほりのうち
左 二十きおくみ 百人おくみ ぜんこうじ」
漢字に直すと
「右 青山 内藤新宿 堀ノ内
左 二十騎御組 百人御組 善光寺」
建立した黒沢、山田両家のうち、山田家は現在も当初にお住まいです。
つぎの庚申塔は、板橋区本蓮沼駅そばの南蔵院の境内にあったものです。
青山のもと形が非常に似ていますね。
江戸時代には雛形のようなもの(図面)があって大量生産されていたのかもしれません。
こちらは葛飾区の木下川(きねがわ)薬師浄光寺の境内にあった庚申塔です。
青面金剛像の下には三猿が彫られています。
庚申から猿が連想され三猿が彫られているのです。
こちらの庚申塔の方が正式なものではないでしょうか。
仏教では天帝は帝釈天なので庚申の日は帝釈天のお祭りです。
柴又の帝釈天題経寺でも盛大にお祭りが行われています。