善光寺の出開帳が両国の回向院で行われています。
終戦後初めてだとか。
出開帳(でがいちょう)とは何でしょうか。
江戸時代には、現世利益をもとめ社寺への参詣が流行しました。
成田山新勝寺、江ノ島の弁財天、大山の阿夫利神社など遊山をかねた参詣が盛んに行われ、その人気は大変なものでした。
今はどこも電車ですぐですが、当時は徒歩の旅、誰でも行けるというものではありません。
まして旅行が自由ではなかった時代です。
もっと遠方の信州善光寺などなかなか行けるところではなかったのです。
そこで逆に、遠方の寺のご本尊が江戸まで出向してくるのです。
鎌倉時代に信州善光寺の出開帳が京都で行われた記録があるそうです。
江戸では元禄16年の4月から60日間行われた成田山新勝寺の出開帳がその最初で、現・深川不動堂(当時の永代寺の境内)で行われたものでした。
その賑わいぶりは大変なものでした。
それはそうでしょう、有名寺院のご本尊がご近所までいらっしゃるのだから。
その時は、ご本尊は江戸城まで出向たようです。
善光寺の出開帳は本所回向院(両国)で行われ、安永7年(1778)では、60日で1,603万人の参詣があったともいわれています。
江戸時代も今回も出開帳されているのはご本尊の分身仏である前立御本尊です。
善光寺ではこの前立御本尊を奉じて全国各地で出開帳をお行い資金を集めたようです。
宝永4年(1707年)に、この資金をもとに現在の本堂を落成し、続いて山門、経蔵などの伽藍が整えられたということです。
このように遠くの寺が江戸で本尊を開帳するのは、資金集めの意味もあったようです。
さて信州善光寺は何宗の寺院なのでしょうか。
実は無宗派なのです。
天台宗大勧進貫主と浄土宗大本願善光寺上人(大本願上人・尼僧)のお二人が善光寺の住職なのです。
その点でも珍しい寺院といえますね。
さて今回です。
いろいろなイベントがあるけど拝観料が1000円(もちろん全額東日本大震災の復興資金になるのですが。)・・・・微妙。
本堂の前はすごい人だかりだし。
長野の善光寺に行ったことあるし。
その時はちょうど御開帳(その場でやる開帳は居開帳という。)だったし。
それに、青山にも善光寺はあるし。
というわけでなかには入りませんでした。(笑)
終戦後初めてだとか。
出開帳(でがいちょう)とは何でしょうか。
江戸時代には、現世利益をもとめ社寺への参詣が流行しました。
成田山新勝寺、江ノ島の弁財天、大山の阿夫利神社など遊山をかねた参詣が盛んに行われ、その人気は大変なものでした。
今はどこも電車ですぐですが、当時は徒歩の旅、誰でも行けるというものではありません。
まして旅行が自由ではなかった時代です。
もっと遠方の信州善光寺などなかなか行けるところではなかったのです。
そこで逆に、遠方の寺のご本尊が江戸まで出向してくるのです。
鎌倉時代に信州善光寺の出開帳が京都で行われた記録があるそうです。
江戸では元禄16年の4月から60日間行われた成田山新勝寺の出開帳がその最初で、現・深川不動堂(当時の永代寺の境内)で行われたものでした。
その賑わいぶりは大変なものでした。
それはそうでしょう、有名寺院のご本尊がご近所までいらっしゃるのだから。
その時は、ご本尊は江戸城まで出向たようです。
善光寺の出開帳は本所回向院(両国)で行われ、安永7年(1778)では、60日で1,603万人の参詣があったともいわれています。
江戸時代も今回も出開帳されているのはご本尊の分身仏である前立御本尊です。
善光寺ではこの前立御本尊を奉じて全国各地で出開帳をお行い資金を集めたようです。
宝永4年(1707年)に、この資金をもとに現在の本堂を落成し、続いて山門、経蔵などの伽藍が整えられたということです。
このように遠くの寺が江戸で本尊を開帳するのは、資金集めの意味もあったようです。
さて信州善光寺は何宗の寺院なのでしょうか。
実は無宗派なのです。
天台宗大勧進貫主と浄土宗大本願善光寺上人(大本願上人・尼僧)のお二人が善光寺の住職なのです。
その点でも珍しい寺院といえますね。
さて今回です。
いろいろなイベントがあるけど拝観料が1000円(もちろん全額東日本大震災の復興資金になるのですが。)・・・・微妙。
本堂の前はすごい人だかりだし。
長野の善光寺に行ったことあるし。
その時はちょうど御開帳(その場でやる開帳は居開帳という。)だったし。
それに、青山にも善光寺はあるし。
というわけでなかには入りませんでした。(笑)