お散歩の後半は、植木の町「安行」。
農村の風情がいっぱいなんだけど何か違う。
畑の中は庭木だらけ。
変わった垣根も。
これなどは銀杏の垣根。
こんな低い銀杏を見たのは初めてです。
その畑の中にあるのが「赤山陣屋」(赤山城)跡。
関東郡代の伊奈家の陣屋跡で広大なもの。
伊奈家が改易のあとは農地に利用されたようで、陣屋跡の多くが植木畑になっていました。
でも空堀なども残って当時を忍ばせています。
安行の植木の歴史もこの赤山に伊奈家の陣屋ができて、植木の栽培を奨励したことや、大火のたびに大量の植木が必要だった江戸の事情が合致したためだといわれています。
伊奈家に関しては劇団時代に七代目忠順(ただのぶ)の宝暦富士噴火に対する復興事業を扱った「怒る富士」 (新田次郎原作)の上演に携わったことがあります。
ですから親近感を持っていました。
その居館あとを訪れることができたのは感慨無量でした。
そのあとそばにある伊奈家の菩提寺の源長寺にも行くことができました。
源長寺
歴史と植物の有意義な一日でした。
農村の風情がいっぱいなんだけど何か違う。
畑の中は庭木だらけ。
変わった垣根も。
これなどは銀杏の垣根。
こんな低い銀杏を見たのは初めてです。
その畑の中にあるのが「赤山陣屋」(赤山城)跡。
関東郡代の伊奈家の陣屋跡で広大なもの。
伊奈家が改易のあとは農地に利用されたようで、陣屋跡の多くが植木畑になっていました。
でも空堀なども残って当時を忍ばせています。
安行の植木の歴史もこの赤山に伊奈家の陣屋ができて、植木の栽培を奨励したことや、大火のたびに大量の植木が必要だった江戸の事情が合致したためだといわれています。
伊奈家に関しては劇団時代に七代目忠順(ただのぶ)の宝暦富士噴火に対する復興事業を扱った「怒る富士」 (新田次郎原作)の上演に携わったことがあります。
ですから親近感を持っていました。
その居館あとを訪れることができたのは感慨無量でした。
そのあとそばにある伊奈家の菩提寺の源長寺にも行くことができました。
源長寺
歴史と植物の有意義な一日でした。