10年目の節目なので、あの日mixiに書いた日記を再掲してみる。
僕は当時職場がお茶の水にあり、日野に住んでいた。電車が止まったので歩いて帰ったのだが、その記録と教訓が書かれている。
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震度5なら何度か体験したが、今回のはそんなものじゃなかった。ニュージーランドのを見た直後のせいもあるが、初めて地震を怖いと思った。揺れが大きくなると、職場の全員がすばやく机の下に潜った。子供のころから学校で続けてきた避難訓練は無駄ではなかった。
一度目の余震の後、総務から1階で待機と指示。16時までその辺でうろうろして過ごす。近くのビルの非常ベルが鳴りっぱなし。救急車とパトカーが走り回っている。湯島聖堂の喫煙所公園に人が山盛りになっていた。
会社の固定電話で一度だけ自宅の妻につながった。テレビが倒れそう、子供たちが泣いているとのこと。6階なので相当揺れたと思うが無事でよかった。
17時。業務に支障がなければ帰宅していいことになった。同僚3人と徒歩で出発。神保町で水が噴出している消火栓あり。ビルのアンテナが倒れそう。
靖国通りは人で渋滞。なかなか進めない。九段会館前に無数の救急車とパトカー。他の3人は渋谷〜246方面。互いの無事を祈って分かれた。
人も多いが車も多い。市ヶ谷では、無理に赤で突っ込んだ車が横断歩道をふさいで警察に怒鳴られていた。
たまたま「みんなの地図3」を装填したPSPを持ってきてたのが役に立った。人が多すぎる靖国通りを避け、内堀通りを南下。吉野家がしまっていた。すき家はやっている。
後ろを歩いていたおばさんたちが「新宿で靴を買おう」と話していた。僕は仕事柄自由な服装なので運動靴だが、スーツに革靴やヒールの高い靴を履いた人たちは大変だろう。
PSPで道路を調べ、すいている裏道を抜けて新宿へ。休憩したいが、営業している店はだいたい超満員。コンビニはレジとトイレに長蛇の列。
新宿南口のタワーレコード前の立体を上に上がって甲州街道へ。歩道が狭い。1列になってしまう。人が渋滞して進めない。オーロラビジョンがテレビ放送を流していた。
混雑している新宿を抜け、土地勘のある初台で最初の休憩を取る作戦。渋滞する甲州街道を避け、水道道路へ入った。比較的すいているセブンイレブンを発見し、チーズとポテチとジャンボフランクを買った。
ポテチをかじりながら歩く。寒くて手がかじかんできた。道産子のくせに情けない。頼みの綱だった初台デニーズは閉店していた。めげずにそのまま進む。商店、飲食店の6割が閉店している。
笹塚のデニーズも閉店。店の多い甲州街道に戻る。たまらずすき家に飛び込む。なぜか並ばなくて済みそう。店長が出てきて、お米が無くなってしまったのでおかずだけになってしまいますが、よろしいでしょうか、という。撤退。再び無数の人たちの中にまじって黙々と西へ歩く。
右の股関節が一歩ごとに痛い。両方の太ももの裏が痛い。ふくらはぎは触ると変形している。知らない人たちとの夜の遠足なんてなかなかないなあ、とでも思わないと気力が続かない。時々足をもつれさせて転ぶ人がいる。みんな相当ばてている。
下高井戸。「ラーメン木八」やってたら入ろう。と商店街に。ドトールがやってた。これはちょうど良い。と思って左を見ると、木八やってるよ。
世田谷線が止まってると聞いて驚くマスター。さすがだ(なにが)。帰宅難民のために無理して営業しているというより、外の状況を知らない感じ? 普通のラーメンを頼む。とてもあったまったが、食べ終わってからニンニクを入れ忘れたのに気付いて激しく後悔。やはり疲れている。
遠足再開。糖分を取った方がいいかもしれんので、暖かい缶コーヒーを飲む。調布辺りまで車で迎えに来られるか、と妻にメール。送信しましたと表示されるが、今日はメールが届くまで1時間くらいかかる。
甲州街道の車道は上下ともずっと大渋滞。E.YAZAWAのシールをリアウィンドウに貼ったオデッセイと、抜きつ抜かれつの大接戦の末に勝利。歩く方が速い。
この渋滞で迎えに来てもらうのは難しい。子どもたちを車に閉じ込めるのも可哀想だ。よし、こうなったら腹をくくって日野まで歩いてやろうじゃないか。あと20キロ以上ある。まだ半分も来ていない。ペース配分と休憩タイミングを考えよう。後二回は休憩したい。予想到着時刻は午前3時〜4時。
人が多少少ない甲州街道上り側の歩道にチェンジ。ただひたすら左右の足を交互に前に出すことに専念。まだ烏山か。先は長い。
大昔、結婚する前に妻と行った仙川のスーパー銭湯の事を思い出した。寄りてえ。寄りてえけど、あそこは結構奥へ歩かないといけない。しかも、営業してるとは限らない。
PSPでつつじが丘駅前にマックがあることを知る。ふらふらと左折し、駅前へ。しかし、マックは閉まっていた。時間なのか(22時過ぎ)、地震のせいなのか。心が折れそうになるが、せめてトイレを探そうと歩き出す。おしっこしたいのよ実は。
駅の前がちょっと騒がしい。ふらふらと近寄ってみると、25キロ以下ですが、とか駅員が説明している。なんだそれ。どうやら京王が動き出したらしい。さすがだ京王。雪が降っても走らせる京王。僕が知る限り、首都圏で最も災害に強い京王。たまに大チョンボもやらかすが。
とりあえず120円で入場券を買って改札を通り、トイレに寄る。その間に最初の一本が行ってしまった。しかし、5分ほどあとに次のが来て、乗ることができた。ガラガラだった。新宿発ではないな。25キロ以下の運転で各駅だと詫びる放送が何度も流れる。いやもう、走ってくれるだけでありがたいんで。京王電鉄の株急上昇。
南平で降りて(改札フリーだった)無事帰宅。23時40分。歩数計によると3万3千歩。21キロくらい。今日帰ってくると思ってなかった妻がびっくり。子ども達も起きて待っててくれた。
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次のこんな日のためにメモ
地図必携だね。携帯電話のグーグルマップやY!地図も使おうと思えば使えたが、バッテリーを通信のために温存しておきたかった。地図データを自前で持つ「みんなの地図3」とPSPは、電池の持ちもいいし、スクロールも爆速。恐ろしく役に立った。「4」が出たら買う。多分出ないけど。
ラジオを持っていればよかった。携帯電話では通話はもちろん、twitterもつながりが悪く、情報取得にはほとんど使えなかった。後半になってi-modeのホームページがすぐつながることと、mixiが意外に頑強なことを発見したが、それまではウォークマンでワンセグを見ていた。携帯電話のワンセグはバッテリー温存のため、ほとんど使用せず。
公衆電話に行列ができていた。有線はつながるんだなと気づいたが、並ぶ時間もなんなので使わなかった。公衆電話は一定数残しておくべき。都市計画として。
都市計画と言えば、幹線道路の歩道は広くしてほしい。今の歩道は、1000万人が徒歩で移動するには狭い。みんなで密集して歩くのは結構楽しいんだけど、それも限度がある。
で、わかりやすく迷いにくい幹線道路に人が集中するので、裏道を行ける地理情報が勝敗を分ける。地図必携。コンビニで買ったのか、真新しい東京の地図を手にして歩くOLとか結構いたぞ。なんか違和感のある光景だった。
OLといえば、ヘルメットをかぶった若い女性が結構いた。支給してくれる会社があるんだね。新宿を通過するまでは、俺も欲しいなあと思ったけど、徒歩が長い佳境に入ると、あれは邪魔だと思った。
会社を出る時は集団下校気分だったし、しんどくなってからは、無理してこの状況を楽しもうとしていた。本当の現地で被災された人たちには比べるべくもないが、我々も結構しんどかった。楽しもうとしても不謹慎ではなかったと思う。