シン・エヴァンゲリオン劇場版感想の続き、本編です。ネタバレするので、まだの人は読まない方がよろしいかと。

YouTubeで公開された映像通りの冒頭シーンから。もうエヴァ的な大型人型兵器を大量に作れるようになってるのだということがいやというほど分かった。下半身だけエヴァの台座みたいなのとか数百体出てきて、マリにまとめて殲滅される。やられるために出てくるエヴァ。消費される無数のエヴァ。
だが、一国3機までとか決まりのある高価な兵器を使い潰せる工業力と経済力がどこからくるのかは分からない。敵である新ネルフにスタッフがおらず、ゲンドウと冬月だけなのも分からんが、気にせず進む。
Qで赤砂の荒野に放り出されたシンジ、アスカ、綾波初期ロットは、第3村という集落で保護される。ニアサー(ドインパクト)で死ななかった人類がネルフ関係者以外にも僅かにいたのだ。そこには、なんと28歳?のトウジ、ケンスケもいた。トウジはヒカリ(委員長)と結婚して子供も生まれている。ヒカリの声は本当に岩男潤子なんだろうか。もう声覚えてない。
シンジとアスカは村で何でも技術屋やってるケンスケのところで世話になる。初期ロットはトウジの家に居候。ケンスケもトウジも、ものすごく優しい。すっかり大人。それに対して外見も中身も子供のシンジは機能停止して毎日アスカに詰られる。
初期ロットは田植えを手伝ったり、銭湯に入ったりする。(綾波の)そっくりさんと呼ばれて村の人たちに可愛がられる。次第に感情を身につけていく初期ロットと交流することで、シンジもやる気を出してくる。
このような、限定されたエリアで暮らす生活感のある話はかなり好き。箱庭みたいで。RPGの序盤の村、みたいな。「進撃の巨人」もそうだし、エヴァンゲリオン云々以前にこういうのはかなり好きなのだが、これは文字通り束の間の平穏なのだった。
電池が切れたのか、初期ロットの頭部がシンジの目の前で爆発。またか。シンジは何回これ見るのか。でも今回はこれでいじけたりせず、立ち直ったまま自分の意思でアスカと共にヴンダーに戻る。
突然、加持さんがフィーチャーされる。彼はニアサー後に種を残したくていろいろやってたらしい。ブンダーにはノアの箱船よろしく、地球上の様々な種が保存されていた。そして、彼とミサトさんの間に生まれた男の子がいたりする。シンジが寝てる間にエヴァンゲリオンは第二世代に移行しつつあった。エヴァンゲリオンZでは、加持リョウジJr.が主人公かもしれない。
新ネルフのフォースインパクトだかアディショナルインパクトだかを阻止すべく、ブンダーはセカンドインパクトの地、南極へ向かう。また非現実的な能力で謎の異空間に突入し、乗員がいるのかどうか分からない(多分いない)新ネルフの戦艦と砲撃戦。蝿か蜂の大群のように湧いてくる無数のエヴァ(インフィニティ)の霧を突き抜け、ミサトさんとゲンドウが甲板上で対決。と思いきやリツコさんが発砲。ゲンドウの頭蓋が粉砕。だが、ゲンドウはすでに人以外のなにかになってて平気。三隻のヴンダー級戦艦を用意し、数えきれない様々なエヴァを操るゲンドウ、この時点では無敵だった。
無敵ゲンドウのゲンドウ式人類補完計画、アディショナル~を阻止すべく、ミサトさんだけ残ったヴンダーと、マリの8号機が、さらなる異空間、裏宇宙へ。もうなんでもあり。槍をその場で生成し、シンジは何らかの方法で8号機から初号機に乗り移った。
そしてシンジの初号機とゲンドウの13号機の一騎討ちが始まる。壮大且つ矮小な父子喧嘩。謎空間でガチり、スタジオ?でガチり、ミサトさんのアパートでガチり、実写?の町でガチる父子エヴァ。
そこからまさかのゲンドウ自分語り。なんと幼少期から自分の半生をシンジに語る。人を信じられなかった。裏切るから。信頼できたのは本とピアノ。そんな自分がユイに惚れて幸せを知った。コミュ障の自分を受け入れてくれたユイ。シンジは重荷だった。ユイを甦らせるために私は云々云々。
いやこれ庵野じゃないの? 庵野の悩みを聞かされるセラピストか何かの気分になった。
シンジは一皮むけており、ゲンドウに説教。なんか知らんが立場が逆になってる。愛する妻と再会したいという一心で地球をほぼ滅亡させつつある自らの行為を恥じ、反省しているような感じ? この辺よく覚えてない。
その後、各登場人物を一人一人浄化していく。カヲルくんが加持さんに「渚司令」と呼ばれたりする。テレビCMで見た不機嫌そうな知らない幼女はアスカの幼少期だった。昔のチビアスカはもっと可愛かったけどなあ。レイは髪が伸びた。すごいくせ毛だった。
ミサトさんは壮絶に戦死。息子のためにしてあげられるのは、生きていける地球を取り戻すこと、的な理由で。
浄化は人だけではなかった。初号機から名のあるエヴァを順番に破壊、あるいは成仏させた。続いて下半身だけのやつとか雑魚のエヴァとかも。まさに「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」だった。
裏宇宙に入ってから、ちょいちょい実写が挟まっていた。嫌な予感。もうメタ表現でいくんだなとわかってたけど。見続けるしかない。俺はあの夏エヴァで感じたやるせない気持ちに決着をつけるために、二十数年ぶりに映画館でエヴァを見ているのだ。見届けるしかない。
最後の最後、なぜか普通の駅のシーンに。どうやら年相応の風貌になったシンジとマリがいちゃつく。向こうでは、なぜかカヲルくんがレイ?といちゃついている。なぜマリ? そうか、アスカは式波型のうちの一体だったんだよな。空母の名前じゃなくなった時点で気づくべきだった。

公開される前、この映画を見に行く気はなかった。また裏切られるから。またやるせない気持ちになるから。でも今回は、気分よく見終えたという感想をいくつか見た。どういう話で終わるかはともかく、読後感がいいなら、それだけでも行ける。と思った。どんだけハードルが低いんだエヴァは。
その通り、読後感は悪くない。少なくとも「気持ち悪い」とは言われてない。リアル感のあるバトルは諦めてたし、結局庵野秀明の苦悩に満ちた半生を見せられただけのような気もするし、何がどうなってこうなったのか分からないが、雰囲気はハッピーエンドだった。
ネタバレを恐れて情報を遮断する日々は終わった。これからは、この文中に頻出する「なぜか」を解明すべく、徐々に出てくるであろうネット上の有識者の解析を漁ることになる。まずは明日の「プロフェッショナル仕事の流儀・庵野秀明SP」だな。