功山寺決起

青山繁晴事務所から自由民主党の党員になりました。(2020年)

今夜9時からの自称公共放送NHKのニュース番組で(2021-01-06 21:50:34)

2021-01-06 23:50:00 | On the Road
▼今夜9時からの自称公共放送NHKのニュース番組で、武漢熱をめぐって「国会議員と会食」というテーマを、独立したニュース項目でやっていました。
 これじゃまるで、すべての国会議員は年がら年中、会食をしていて、それが武漢熱や緊急事態宣言でどうするか困っているという話になります。



 もうすこし、実態を取材してからにしてはどうですか、公共放送を自称するのなら。
 たとえば誠に不肖ながら、れっきとした現職議員であるぼくは、国会議員になってすでに4年半になりますが、その間ずっと、会食は激減したままです。
 サラリーマンだった記者時代よりずっと少なく、シンクタンク ( 独立総合研究所 ) の代表取締役社長の時と比べると、もはや比較にならないほど、はるかに少なくなっています。
 一方で、孤立とは無縁です。その証拠に、護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 / JDI ) という自由民主党の衆参両院議員64人を擁する議員集団の代表です。
 しかし、もう一度申しますが、会食はたいへん少ないです。会食しないと、議員同士の交流ができない、などという事実はありません。料亭政治など、ずっと遠い時代に終わっている話です。元政治記者としてもそれを知っています。

 ぼく以外の国会議員でも、世の働く人より会食がずっと多い、毎晩のように料亭に行ったりする議員が、どれほど居るでしょうか。
 現在の実情を何も取材しないで、こんなニュースをつくるから、新動画の「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」で申したように、民放の人気ドラマ「相棒」で国会議員や官房長官が料亭で「会食」しながら殺人の相談をしたりというシーンが出てくるのです。

ニュースウオッチ9 - NHK

▼ただし、公平に申さねばならないのは、与野党の幹部陣は「緊急事態宣言下における会食のあり方」を協議したりしています。
 上記のニュースの材料を提供しているわけです。
 そんなことを公党が与野党協議のテーブルに載せたりするから、国会議員はみな、会食ばかりしているという誤解を生むのです。
 自称公共放送のNHKの責任だけでは、全くありませんね。

▼映画やドラマ、さらにニュース番組に出てくるステレオタイプ、先入観ばかりの国会議員像を打ち破るのも、不肖ぼくのささやかな試み、テストケースだと思っています。・
 ちなみに、国会議員になった瞬間から、ゴルフもまったく行かなくなりました。
 もともとゴルフは、ぼくにとってはスピード感に欠けるので、好きではないのです。 ( あくまでぼくにとっては、の話です。ゴルフが好きなかたは、もちろん、沢山いてください。ぼくも見るのは好きです。心理戦が素晴らしいですから。自分がやるのは、アルペンスキー競技やモータースポーツがいいというだけのことです )

 好きではなくても、記者時代も、シンクタンク社長時代も、おつきあいとしてはゴルフもしていました。
 しかし国会議員になると、皆無です。
 政治献金を1円も受け取らず、政治資金集めパーティも決してやらないので、作家として本を出すことをはじめそれまでの仕事を続けて自ら政治活動に必要な費用も賄うしかありません。
 従来の、正直たいへん多忙だった仕事の上に、公務が加わったわけですから、土日もゴルフどころではなく執筆を含め、仕事また仕事なので、ゴルフはただの1回も行っていません。
 ワシントンDCのホワイトハウスでNSC ( 国家安全保障会議 ) の関係者と議論したり、真珠湾のアメリカ太平洋艦隊司令部で将軍や佐官と議論したりの海外出張も自費で行きますから、政治活動費が必要ですが、それを自前でつくろうとすれば、ゴルフに行く休日というのは無いのがむしろ当たり前ですね。
 こうしたことはみな、三浦麻未公設第一秘書をはじめ3人の公設秘書、そしてぼくの家族という生き証人がいるわけです。

▼日本の国会議員は、会食とゴルフばかり。
 そんな議員像は、オールドメディアも、自由民主党自身も、もはや卒業した方がいいのではありませぬか ?
 しかし、そういう評論をしたり、テレビで放送作家の書いてくれた台本通りにそうした発言をするのではなく、おのれ自身で、実践します。
 ひとのこと、他の議員のことは、申しませぬ。おのれが試しにやってみるだけ。ひとさまの批判はしません。
 そのようですから、ぼくは、ただのテストケースです。ひとつのサンプルに過ぎません。
 あとに続くひとがいらっしゃるかどうか、そこが肝心なところです。それがぼくの関心事です。


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5分前に、キタ━(゚∀゚)━!(ぼくらの国会・第83回)

2021-01-06 22:07:54 | 青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会
【ぼくらの国会・第83回】
ニュースの尻尾
「緊急事態宣言-菅総理の会見に意義あり」


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初荷という日本語には、よき香りがあります。(2021-01-06 17:52:10)

2021-01-06 18:55:00 | On the Road
▼回生の年である令和3年、日本のオリジナルカレンダーの皇紀で申せば紀元2681年、世界共通暦では2021年のきょう1月6日水曜、不肖ながら発信の7本柱のひとつ、新動画の「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の新年初収録を行いました。
 つまり初荷ですね。
 初荷という日本語には、よき香りがあります。



※令和3年年頭現在のぼくの発信は、以下の通りです。

【無条件で公開する情報】 ( ただし有償と無償があります )

1.書籍:
 最新刊は、18年ぶりに発刊した小説 ( ぼくの言い方では物語文学 ) の「わたしは灰猫」
 そして現場をみんなと共有するための新書 ( ドキュメンタリー文学 ) の「きみの大逆転」

2.連載エッセイやコラム:
 今は、戦う論壇誌の「月刊Hanada」のエッセイ「澄哲録片片」と、地方紙の雄「北國新聞」の「北風抄」

3.このブログ:
 毎日のアップを目指しています。それを、ほぼ実行しています。たまに不可能なときもあります.そんなときも翌日には必ず、新しいエントリーをアップしています。
 さらに必然性のあるときは、一日に幾度となくアップします。
 そういうときは、いわば文章を練ったツィッターを兼ねるという気持ちです。 

4.ネット動画:
 新しい動画の「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」
 長く続けている「青山繁晴が答えて答えて答える」

5.FMラジオ音楽番組:
 クロスFMの「On the Road」
( クロスFMの坂田社長の要請で、このブログと同名になっています。毎週土曜の午後3時~5時。ラジコを使えば全国どこでもお聴きになれます )

【条件付きで提供する情報】
6.独立講演会:
 みなさんと感染症対策を徹底的に施したうえで、対面し、絶対のオフレコを条件に、「これから何が起きるか」が分かるようになるための高精度の情報を、毎回必ず提供しています。
 さらにみなさんの質問に数多く、その場で答えます。
 スポンサーのいない、自主開催の講演会です。開催実績は、すでに100回を大きく超えています。

7.東京コンフィデンシャル・レポート ( TCR ) :
 伝えられる限界を極限のギリギリまで追求した高度な情報を、会員外への漏洩が絶対になきことを条件に、精確な文字情報でお伝えします。
 新年に、21年目に入り、配信レポートは1200号を超えていきます。

▼新年を寿ぎつつの収録となるはずが、1月2日に盟友の戦死があったために、1本目は黒いネクタイにての収録となりました。
 弔意も、三浦麻未公設第一秘書と共に捧げました。
 その後、いつもの通り、4本まで収録しました。
 正直、深い悲しみを抱えつつの収録は、はなはだ疲れました。特に1本目は、ぼくとしてはボロボロの収録になりましたが、ありのままにアップする予定です。
 アップは今夜から始まります。

▼去年の1月から日本と世界で本格化した厄災は、間違いなく中国が生み出したものです。
 それも中国共産党の歪んだ独裁のもたらしているものです。
 世界がそれを知りました。大きな犠牲を払いつつ、今もそれを知ることが続いています。
 しかしこの日本社会では、いまだにそれを知らないところがあります。その意味では、このままでは日本は中国と共に世界の孤児となり、しかも中国自身は賄賂と工作によって活路を開き、それをしない日本だけが取り残されることもあり得ます。
 好き嫌いとか、イデオロギーの問題では全くありません。
 ただただ、現実です。
 まつりごとの中心から、それを変えずして、日本を子々孫々に渡すことはできなくなっているのです。
 中国共産党の独裁にいかに向かい合うか、それについても一致点を見出す段階にまさしく来ているのが、この新年の日本における幕開けです。

▼すべてに耐えて、この道を進みます。
 一緒に歩けるひとは、これからも一緒に歩いてください。
 歩くことはできない、見るだけ、聴くだけ、それでも充分ですよ。
「ありのまま」とは、ぼく自身のことだけではなく、ぼくと接するときの、みなさんであってほしい。





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京大野球部でベストナインを獲った和田さん(2021-01-06 09:53:35)

2021-01-06 11:57:00 | On the Road
▼急逝されたわが友、和田幸浩・外務省大臣官房総務課長の大学野球での先輩というかたから書き込みがありました。
「和田さんは確かに捕手出身であったが、三塁手にコンバートされてベストナインにも選ばれた」とのことです。
 調べますと、和田幸浩三塁手は、昭和63年、西暦1988年秋の関西学生野球連盟リーグ戦においてベストナインに選ばれています。
 和田さんが京都大学経済学部の1回生のときです。
 お詫びして訂正します。先のエントリーにも訂正を入れます。



▼和田さんが京大野球部でレギュラーの捕手だったという話は、和田さん自身が同席されていた席で、外務省と京大の先輩に当たる幹部から聴きました。
 ぼくが和田さんを知ったばかりの頃です。
「凄いですね」と語りかけると、和田さんは静かに笑っていて、ご自分の上記のような輝かしい野球歴を一切、何も語られませんでした。

 その後、中国による武漢熱、尖閣諸島への侵入、習近平国家主席の国賓来日問題、韓国の偽の少女像問題、アメリカの大統領選挙、トランプ大統領の外交政策、あるいはこのブログで記した海外同胞への支援・・・とにかくありとあらゆる日本外交の課題について、すべて水面下にて、和田さんと連携すべきを深く連携しつつ、いつもたがいに厳しい意見を、現実を踏まえて議論し合っていました。
 そのとき、ときどき「和田さん、あなたはキャッチャー、伝統ある京大野球部の正捕手だったんだから、日本国民の投げるボールをしっかり受け止めてください」と申したり、「ぼくがなぜあえてこの場面で直球を投げるか、京大の正捕手なんだから分かるよね?」と申したりすることがありました。
 すると和田さんは決まって「分かりました」とだけ答えて、微笑されました。
 他のことでは、ぼくにもしっかり意見を仰るのですが、そういえば野球のことについては、ついに、1月2日の急逝まで、特にご自分の戦績については何も語られませんでした。
 捕手からサードへのコンバート、強肩が求められることは同じでも躯の動きはずいぶんと違うだろう経験、そしてそのコンバートで、しかも1年生ということは恐らくは短い三塁手としてのキャリアで、強豪の私立大学野球部がひしめく関西リーグでベストナインというのはビックリです。
 しかし、まったく語られませんでした。

http://www.kyoto-bbc.net/shiryoukanfielder/tsuusan/tsuusan-shiaisuu.htm

▼この大学野球の先輩というかたに依れば、和田さんがベストナインに選ばれたとき、あの片岡篤史選手を抑えてのことだったそうです。
 これは今ちょっと、公式記録は見つけられません。みなさんのご想像の通り、年末年始は関係なく超多忙のままですから、これ以上の時間を取れません。また公設政策秘書にこの調査を頼むのもどうかなと思います。
 そこで、このかたのお話しをそのまま信じれば、ということではありますが、事実なら、これもビックリそのものです。
 実は片岡さんは、かつて関西テレビの土曜の番組でご一緒して、良く存じあげています。
 身長190センチに迫ろうかという体格、関西学生野球連盟リーグ戦では同志社大学の内野手で首位打者にもなっておられ、プロでは日ハム、阪神で鳴らし、現在でもたいへんな有名人です。

 その方をライバルに、京大生でベストナインを獲得。
 あぁ、なるほど、だからこそ和田さんは何も、ご自分の野球歴を語られなかったと今、分かります。

 日本男児、ここにあり。
 もしも駄目選手だったのなら、「いや、青山さん、わたしは捕手からコンバートされたんですよ」と仰ったのかも知れません。
 和田さんの、もうひとつの奥深い、なんとも凄味のある矜持、誇りを、ぼくはこの野球選手・和田さんの先輩というかたの書き込みのお陰で、知ることができました。
 ありがとうございました。あらためてお詫びしつつ、感謝を申しあげます。





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国士たる和田幸浩・外務省大臣官房総務課長の戦死(2021-01-06 03:45:47)

2021-01-06 04:38:04 | On the Road


 みなさん、国士たる和田幸浩・外務省大臣官房総務課長の戦死と言うほかない急逝を悼む、たくさんのお言葉をありがとうございました。
 和田さんは、日本国の外交官として、良心と国益に基づいて最期の最期まで行動されました。
 和田さんが、これまで主権者にほとんど知られることもなく、祖国とその主権者のために尽くすことに唯ひとつの命を捧げられました。それが、みなさんの丁寧な弔意によって報われることになると、思います。

 海外にいらっしゃる関係者から電話もいただき、わが盟友に1月2日、そのご自宅で起きた最期の様子を、うかがい知ることができました。

 不肖わたしは、福島第一原発に作業員以外で初めて入ることを許可してくれた吉田昌郎・福島第一原発所長を思い起こさずにいられません。
 吉田さんの魂魄はいまだ、福島の浜通りにあるのかも知れません。
 和田さんもまた、その優しい魂魄は、突然に取り残されたご家族と共にあるのではないでしょうか。
 それをゆうべ、電話をくださった関係者とお話ししました。

 みなさん、あらためて、ご弔意に深く感謝します。
 できれば和田幸浩さんのお名前を、忘れずにいてください。非難を浴びることも多い外務省のそのなかに、こうして知られることなく戦っている日本人が居たことを、できれば、覚えていてください。
 伏して、お願いします。




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