功山寺決起

青山繁晴事務所から自由民主党の党員になりました。(2020年)

そして小野寺さんが10人目として「青山繁晴 参議院議員」と呼ばれました。(2021-03-21 21:13:44)

2021-03-21 21:44:00 | On the Road
▼まず、ぼくの事務所、議員会館の青山繁晴事務所を通じて、自由民主党の党員になってくださったかたがたに、あらためて魂からのお礼を申しあげます。
 みなさんの入党、その数こそが、党内でぼくが申すべきを申し、たとえば習近平国家主席の国賓来日に異論を唱えたときの力になっているのです。
 自由民主党の議員は誰でも、その事務所を通じて党員になられた主権者の多寡 ( 多いか少ないか ) が、発言力に直結します。その意味では実力主義なのです。



▼きょう3月21日の日曜に開かれた第88回自由民主党大会で議事が進行するうち、「令和2年 党員獲得 国会議員 トップ10」の発表というのが始まりました。
 そういう議事があること自体、ぼくは知らなかった。

 プレゼンターは、長い知友の小野寺・元防衛大臣です。
 先日の東日本大震災10周年のとき、「青山さんとふたりで、発生直後に気仙沼の被災地を回ったことが忘れられません。あらためて、どうしても、お礼が言いたくて」とわざわざ電話を掛けてこられた、誠実で丁寧な人柄のひとです。
 その小野寺さんは今、党の組織運動本部長だからプレゼンターを務められるのでした。



▼そして小野寺さんが10人目として「青山繁晴 参議院議員」と呼ばれました。
 ごく静かだった場内、つまり議員席から、その途端に「おおー」という声があちこちで上がり、それにもびっくり。

▼それまでの9人はすべて、衆議院議員で、不肖ぼくは参議院議員トップでした。
 と言うより、参議院議員が他にトップテンにいないことに、へぇー、そうなのかと意外に思いました。

 党大会が終わると、思いがけず沢山の議員が近づいて声を掛けてこられました。
 そのうち護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) メンバーで盟友の北村経夫・参議院議員が仰ったことで、一般的な情勢は良く分かったのです。
 北村さんは、元は産経新聞の政治部長です。
 さまざまに客観的な事実を知っておられます。
「おなじ有権者を、衆議院議員と参議院議員でいわば取り合うわけですね。するとどうしても、衆議院議員が取ってしまう。だから、そもそも参議院議員がトップ10に入ってくること自体、あり得ないことなんですよ。だからトップ10入りは凄い」という趣旨を仰いました。



▼ぼくには「取り合う」という意識はゼロです。
 実際、ぼくの党員募集は、この地味なブログでたまに呼びかけるだけです。他に何もしていません。
「たまに」と言うよりは「稀に」ですね。滅多に党員募集を書きません。
 ふつうは、その議員を抱える団体同士でもしのぎを削るのです。それは知っています。ぼくも政治記者出身ですから。
 しかしぼくは、ささやかなる信念のひとつとして、いかなる団体の支持も、申し訳ないけど、お断りです。

 西暦2016年の選挙のとき、公示の数日前に突如、出馬することになったので、党本部から急いでお見えになった事務方の首脳が「いくら青山さんでも、団体を付けないと、もう間に合わない。間に合うはずがない。落選です。だから、ふたつ、団体を特別に用意しました」と仰いました。
 即、「いかなる団体の支持も受けません」と恐縮ながら、お断りしました。特定の利害は一切、代表しないからです。追求するのは、民間専門家のときも、仮に議員になったときも、国益と国民益だけだと、ごくふつうに自然に考えていました。

 したがって党員募集も、ふだんの凡(すべ)てことと同じく、このブログでお話しするだけです。
 それにもかかわらず、思いがけず多数の主権者が、ぼくの事務所を通じて党員になってくださったのは、それは確かに、凄いです。ぼくが凄いのでは全くなくて、みなさんが凄いのです。

▼5年前の選挙のとき、前述したように、公示の直前になって諦めて、いや覚悟を決めて、生涯、決して出ないはずの選挙に出ることにしました。
 議員になって党大会を経験して、あ~、ほんとうは皆さんこうやって候補者になるんだと思った光景がありました。
 ぼくらの次の参議院議員選挙、西暦2019年のとき、そのまえに開かれた党大会で、眩 ( まぶ ) しいスポットライトの中で次から次へと候補者が大々的に紹介されていきます。
 こうやってきっちり決まっていて、団体も付き、組織固めをして、選挙に臨むわけです。ひとりの例外も無く。

『(ぼくが参加した)西暦2016年の選挙のときも、候補者はこうやって党大会で紹介もされていたんだなぁ。そのとき、ぼくは影も形もなくて、公示されて選挙戦になると突然、現れたわけだ』
 党大会の華やかな候補者紹介を、議員席から見ていて、そう考えました。
 自由民主党の公認候補者になること自体が、ほんらいは、戦いですからね。

▼そのぼくが48万1890票を得て、票の中身を一部の機関が調べたら、「自民党は嫌い」という有権者、そして「政治家が嫌いで今まで投票に行かなかった」という有権者も多く投票したらしいという結果が出たそうです。
 ほんとうのポイントはここだと考えます。
 それだから、衆議院議員とバッティングしていないのです。
 ぼくは取り合うつもりがありませんが、それ以前に、取り合いの成り立つ有権者ではないということだろうと考えています。




 みなさん、ほんとうにありがとう。
 ぼくらの日本を良くするには、みなさんだけが頼みなのです。

 ​蛇足ながら、党員はずっと、365日募集しています。
 そのことは次のエントリーで整理して記します。




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ぼくは都道府県連にも、いかなる派閥にも、属していません。(2021-03-21 14:39:53)

2021-03-21 14:59:10 | On the Road


・・・不肖ぼくの、ほんとうにささやかな、ちいさな発信によって、初めて日本の政 ( まつりごと ) に関心を持ったと仰るひと、日本の主人公、主権者が決して少なくないからです。

 ひとつ前のエントリーに記した「自由民主党の都道府県連」 ( 都道府県支部連合会 ) と、「自由民主党の派閥」とは、まったくの別物です。
 前者は党の正式機関、後者は、正規の機関ではなく、任意の集まりです。

 ちなみに、ぼくは都道府県連にも、いかなる派閥にも、属していません。
「実は○○派に入っている」などという赤々とした嘘を例によって流されたりしますが、さまざまに誹謗に励んでおられて、ごくろうさまなことです。

 生き方は議員になろうが、議員でなかろうが、何も変わりませぬ。




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これまでは一度も席がありませんでした。 (2021-03-21 13:40:58)

2021-03-21 13:55:44 | On the Road
▼開会前の、自由民主党大会です。
 議員となって足かけ5年ですが、これまでは一度も席がありませんでした。

▼なぜか。
 これがお分かりの方は、相当な事情通ですね。



 ぼくは「(公示前の)日頃の選挙活動というものはしない。地元も作らない。後援会も作らない。後援会長も置かない」という、ささやかな信念に基づいて、いかなる都道府県連、自由民主党の都道府県連にも属しません。
 党大会は、武漢熱の無いときは、都道府県連別に席が用意されます。
 したがって、毎年、ぼくには席がなかったわけです。

 席が空いている、どこかの県連を見つけると、そこにお願いして、座らせてもらっていました。
 いわば流浪の民ですね。

( ※ 自由民主党の参議院全国比例区の大阪第15支部長を務めていますが、これは「いずれかの支部長を務めねばならない」というルールによるものです。その際、「大阪府連には属さない」ことで話し合い、合意を得ています )


▼しかし今年は、武漢熱のために都道府県連の代表のかたがたとはオンラインで繋いで、会場は、国会議員だけです。
 そして密を避けるために、議員席は指定して、間隔を空けてあります。
 と言うわけで、ぼくとしては史上初めて、席があります。

 来年は武漢熱が静まり、わが席はまた無くなり、ぼくが流浪の民に戻ることを祈ります。
( ちなみに、党大会の時期は定例の参院選が行われる時期、公示される時期より、ずっと前です )




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ぼくは昨年、女性局長代理でした。(2021-03-21 11:26:37)

2021-03-21 11:59:00 | On the Road
▼きょう3月21日・日曜の午後には、自由民主党大会が開かれます。
 そのまえの午前中に、党女性局、青年局の合同会議がオンラインを中心に開かれています。
 女性局、青年局の役員は、感染症対策をとりつつ会場に集まり、今日のほんとうの主役である地方の代表のかたがたとはオンラインで繋いでいます。



▼ぼくは昨年、女性局長代理でした。
「男性議員がなぜ ?」と幹事長、政調会長、総務会長という当時の党三役全員のかたがたにそれぞれ驚かれて聞かれたりしましたが、もちろん、ぼくの知らないところで内定していた人事でした。
 三原じゅん子女性局長 ( 当時 ) の新感覚人事だったそうです。



▼おかげで、女性局役員の地方めぐりに参加し、全国の現場における女性の現状がよおく分かり、みなさんと交流できて嬉しかったです。
 武漢熱の流行する前でしたからね。



▼女性局長代理になる前年から女性局次長でした ( 次長には昔から男性議員が何人かいます ) から、2年間の女性局役員としての活動でした。
 それを終え、女性局役員もいつもの通りほぼ総入れ替えになりましたから、ぼくは当然、お役御免だと思っていました。
 ところが女性局次長として留まるよう依頼され、今は、女性局役員としての3年目の活動中です。
 今年度は、武漢熱のために、女性局も青年局も四苦八苦の活動ぶりです。

▼昼を挟んで、午後からは、党大会です。
 これもオンライン中心です。


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チンギスハーンを生んだ誇り高きモンゴルは、北と南、ふたつに裂かれているのです。(2021-03-21 01:55:28)

2021-03-21 05:04:00 | On the Road
 モンゴルはモンゴルでも、お相撲さんを送り出している「モンゴル国」ではなく「南モンゴル」です。
 中国共産党の呼び名では「内蒙古自治区」です。
 チンギスハーンを生んだ誇り高きモンゴルは、北と南、ふたつに裂かれているのです。

 中国を挟んで南モンゴルの隣人である日本、その国会議員はあまり南モンゴルの惨状について語ることがなかったのではないかと考えます。
 護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) の山田宏幹事長らとあらためて連携して、勉強会を発足させました。
 長めの動画になっても、みなさんに実感していただけるようにと、一生懸命に話しました。
 よろしければ、きょうの日曜日、あるいはすこし時間のあるときに、「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」第128回放送を視て、一緒に考えてくださいませんか。



 日本の良き隣人たちが、中国共産党の支配するただ一国のために、北でも南でも西でも苦しみ抜いている現状を知れば知るほど、日本は奮い立つほかないと考えます。

 きょうの日曜は、自由民主党の党大会です。
 その内部から変えていくほかに道は無いというぼくの信念は、苦難が重なれば重なるほど、より堅固になっています。

 ぼくらはそれぞれに潜在力を持ちます。
 おのれを知り、その潜在力を活かすことこそ、すべてを切り拓きます。


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