いまワクチンばかりが話題になっていますが、治療薬も非常に大切です。
いまだ世界で「これ」という決定打、確信を持って使える治療薬は出ていません。
そのなかで、いったんは治験が中断していた国産の薬について、新たな試みが始まろうとしています。
口止めはされていませんが、ぼく自身の良識と判断によって、今日はここまでにとどめておきます。
いまだ世界で「これ」という決定打、確信を持って使える治療薬は出ていません。
そのなかで、いったんは治験が中断していた国産の薬について、新たな試みが始まろうとしています。
口止めはされていませんが、ぼく自身の良識と判断によって、今日はここまでにとどめておきます。
一番みなさんにお伝えしたいのは、日本でも世界でも、武漢熱を克服するための尊い努力が続いているということです。
倦(う)まず弛(たゆ)まず、夜も昼も、続いているのです。
倦(う)まず弛(たゆ)まず、夜も昼も、続いているのです。
【NHKのドキュメンタリー「緑なき島」にひどい捏造映像があり、それが韓国の虚偽による反日運動に利用されていると、軍艦島に住んで働いていた多くの先輩方が憤激、告発されていることに関連して】
▼「緑なき島は映画だとネットにあった。映画ならば脚色はあり得るのでは。少々、気になった」という趣旨の書き込みがありました。
もうすこし検索なされば、「緑なき島」は、NHKのドキュメンタリーの7年前に、松竹のまったく同名の映画があったことが出てくるのではないでしょうか。
7年前に公開されていた映画です。また「緑なき島」というのは、そんなに良く言われる言葉ではありません。普通に考えれば、タイトルをパクったのではないかという疑念が湧きます。NHKは、そこにも問題があります。
▼「緑なき島は映画だとネットにあった。映画ならば脚色はあり得るのでは。少々、気になった」という趣旨の書き込みがありました。
もうすこし検索なされば、「緑なき島」は、NHKのドキュメンタリーの7年前に、松竹のまったく同名の映画があったことが出てくるのではないでしょうか。
7年前に公開されていた映画です。また「緑なき島」というのは、そんなに良く言われる言葉ではありません。普通に考えれば、タイトルをパクったのではないかという疑念が湧きます。NHKは、そこにも問題があります。
▼検索をなさって、それを元に「間違っているのじゃないか」と指摘なさるものが毎日のように来ます。
ネット時代の明暗がここにもありますね。
検索も情報量が多くてたいへんだと思います。
しかし検索なさる以上は、違う情報もそれなりには網羅していくことが、たいせつではないでしょうか。
簡単な時代は、実は簡単ではないと、考えます。
ネット時代の明暗がここにもありますね。
検索も情報量が多くてたいへんだと思います。
しかし検索なさる以上は、違う情報もそれなりには網羅していくことが、たいせつではないでしょうか。
簡単な時代は、実は簡単ではないと、考えます。
本心では、書きたくないエントリーです。
しかし、おひとりだけのことではなく、この時代においては幾分かの普遍性はある、起きがちのことではないかと考えて、記しておきます。
しかし、おひとりだけのことではなく、この時代においては幾分かの普遍性はある、起きがちのことではないかと考えて、記しておきます。
▼「普通の政治家になって悲しい」と仰ったあなたさまは、「熱量がなくなって、落ち着いてきたから。献金のことを言っているんじゃない」という趣旨を書き込まれました。 ( コメントをそのままコピーはしません。あくまで趣旨です )
ぼくの活動をどのように解釈されるのも、まったく自由です。
現実の活動として日々、熱量はこれ以上ないほどに費やしています。熱量を賢く上手にセーブしていたら、愚かにもこれほど疲弊はしないでしょうね。
「落ち着いてきた」と批判なさるというのも、なかなかユニークなお話です。
なんとか真意を汲もうとしていますよ。主権者のお気持ちは、どんなものでも汲みとりたいですから。
ただし、です。
にんげんの気持ちを低下させる、あるいは低下させかねないことを、ごく簡単になさっていませんか。
人の努力に眼を向けるより、ご自分の感情にだけ眼を向けられてはいないでしょうか。
ぼくにはいくらでもどうぞ。
これからも山のように、どうぞ。
屈しませんから。
しかし、ぼくのあとに続くひとが出る時代がもしも来れば、「ひとの気持ちをさしたる理由なく押し下げること」、「引っ張らなくてもいい足を引っ張ること」になっていないか、立ち止まって考えていただけませんか。
チリが降り積もるように、こゝろの深い部分で、意外なほどやる気を無くしていくことが起きないか、心配します。
誰のために戦っているの分からなくなり、馬鹿らしくなるということも起きないか、懸念します。
その頃にはぼくはこの世に居ないかも知れません。今朝のようなお話しはできませんから、できれば、今のうちに、ご自分を振り返っていただけませんか。
あなたさまに、ぼくなりのちいさな、ささやかな努力として、お付き合いを致しました。
そして、もうここで、ご勘弁を願います。もしもお読みいただけたのなら、こゝろから、ありがとうございました。
ぼくの活動をどのように解釈されるのも、まったく自由です。
現実の活動として日々、熱量はこれ以上ないほどに費やしています。熱量を賢く上手にセーブしていたら、愚かにもこれほど疲弊はしないでしょうね。
「落ち着いてきた」と批判なさるというのも、なかなかユニークなお話です。
なんとか真意を汲もうとしていますよ。主権者のお気持ちは、どんなものでも汲みとりたいですから。
ただし、です。
にんげんの気持ちを低下させる、あるいは低下させかねないことを、ごく簡単になさっていませんか。
人の努力に眼を向けるより、ご自分の感情にだけ眼を向けられてはいないでしょうか。
ぼくにはいくらでもどうぞ。
これからも山のように、どうぞ。
屈しませんから。
しかし、ぼくのあとに続くひとが出る時代がもしも来れば、「ひとの気持ちをさしたる理由なく押し下げること」、「引っ張らなくてもいい足を引っ張ること」になっていないか、立ち止まって考えていただけませんか。
チリが降り積もるように、こゝろの深い部分で、意外なほどやる気を無くしていくことが起きないか、心配します。
誰のために戦っているの分からなくなり、馬鹿らしくなるということも起きないか、懸念します。
その頃にはぼくはこの世に居ないかも知れません。今朝のようなお話しはできませんから、できれば、今のうちに、ご自分を振り返っていただけませんか。
あなたさまに、ぼくなりのちいさな、ささやかな努力として、お付き合いを致しました。
そして、もうここで、ご勘弁を願います。もしもお読みいただけたのなら、こゝろから、ありがとうございました。