崎門学は敬なしには語れないはずだが、なかなかこの本で敬は出てこない。君臣の大義ばかりだ。評価できるのは一貫して王政復古という表記をしていないことかな。皇政復古と書いている。幕府の思想弾圧の苛烈さは明治維新の夜明けの100年前(1758年宝暦事件)から始まっていた。
『柳子新論』にお咎めが無かったのは、幕府の道理の的を得ていたからかも知れない。宇都宮黙霖が吉田松陰に渡した書簡とこの山県大弐(明和事件で死罪、竹内式部は遠島後病死)の『柳子新論』がなければ、倒幕思想のバトンは吉田松陰には渡らなかった可能性さえある。
浅見絅斎(あさみ・けいさい)の『靖献遺言(せいけんいげん)』、
山崎闇斎の門士、桑名松雲に学んだ水戸藩士栗山潜鋒(せんぽう)の『保健大記(ほうけんたいき)』、
山県大弐の『柳子新論』、
蒲生君平(がもう・くんぺい)の『山陵志(さんりょうし)』(前方後円墳という言葉は君平のもの)、
頼山陽の『日本外史』の五冊が
何を日本人に遺し、大東亜戦争により奪われたのか。
靖国神社には幕末維新に関係した祭神約4200柱が祀られているが、このうち1420柱、約3割を水戸藩士のものが占めている。