公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

書評 「世界の測量」ダニエル・ケールマン 著

2015-01-10 07:46:44 | 今読んでる本
いつものように心に留まる言葉から。

「道なんてどうでいい、主義の問題なんだ、とフンボルトは応えた」

「全てを変えてしまうことになったその日、彼は奥歯の痛みのせいで正気を失ってしまいそうであった。」

「私には、ユークリッド空間は、『純粋理性批判』が主張するようにわたしたちの直観の形式それ自体ではなく、それゆえにすべての経験の基礎となるものではなく、むしろ一つの虚構、美しい夢ではないかと思えるのです。」「平行二直線がたがいに交わらないという命題は、ユークリッドによっても他の誰によっても証明不可能なものでした。しかしそれは、一貫して主張されてきたように自明であるわけではないのです!」
ガウス
「あの時クラーレを飲んでおけば良かったと思いますよ。人間の脳は毎日少しずつ死んでいくのですから。」
フンボルト
「クラーレは、いくら飲んでもいいのです。何かを殺すためには血液中に入らなければなりません。」

「フンボルトは腕組みをした。
ガウス
オッカムの剃刀』というやつですな、ひとつの事実の解明に必要な仮定の数は、できるだけ少なくしておかなければならない。」「宇宙は空虚なものですが、歪んでいるのです。星は奇妙な丸天井に浮かんでいるのです。」
フンボルト
「ガウスさんのようなお方が、そのような奇妙な方向の見解をお持ちであることを奇妙に感じます。」


「僧は柔らかい子供のような手でフンボルトの胸に触れた。しかしここには無があります。。。それを理解せぬものは。。全てを震撼させ、何も成し遂げられないのです。」
「私は無というものを信じておりません、とフンボルトはかすれ声で言った。信じているのは自然の充満と豊穣です。」

読書は自分を映す鏡である。いま迷いがあるからガウスとフンボルトという二人の天才の物語は心に入ってこない。これほどとは自分でも気付いて無かった鏡を見て驚いたという心境。

ただ知識が大きな武器であった時代はクラーレの毒性に対するガウスの驚きのように、天才の時代は波動となってナポレオンに対する日本人の好奇心を揺さぶった。【1812 年上表が、文献上、現在知られる最も古いナポレオン情報だ。これはオランダ商館が、ナポレオンによるオランダ国家の吸収消滅をひた隠しに隠したため、ナポレオン情報は南の長崎で はなく北の蝦夷地、それも松前藩が捕縛ロシア人ゴロヴニーン達とともに監禁された一行の中にムール少尉らもたらされた】


今はどうだろう。 こういう設問がすでに居付きだ。いかん。



このタイトルじゃ誤解されるだけ。ベストセラーが名前損している。何せダビンチコード以上に売れたと言うのだから、よくわからないが、直訳は芸が無い。
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