『ある分かれ道でこのままでは私情に流されるとして、迦葉は右へ、彼女は左へと分かれたという。』
これにより後に迦葉は釈尊と出会う。我々にもあるほんのわずかな決断が将来の出会いを決めている。迦葉は妻との時間より修行の道を選んだ。ある意味ではバラモン教徒として自己中心的な自分自身だけの魂の救済を求めていた。迦葉といえども聖人が聖人としては、生まれてこない。聖人のコピーでもない。どんな決断も真の意味は本人にはわからない。
世尊、昔霊山會上に在って。花を拈じて衆に示す。是の時、衆皆黙念たり。唯迦葉尊者のみ、破顔微笑す。世尊云く、吾に正法眼蔵、涅槃妙心、實相無相、微妙の法門あり、不立文字、教外別伝、摩訶迦葉に付嘱す。
中国南宋時代の禅僧 無門慧開によって編集された語録『無門関』第六則より引用
この逸話は後に日蓮によって禅天魔と禅宗の原理を攻撃された。不立文字で経典を引用するのは自己矛盾であると。上手いことを言ったもんだ。