Wikipedia によると
繰り返し歌われるマントラの "Jai Guru Deva Om…" は、「我らが導師、神に勝利あれ」(神に感謝を)の意である。
ずっと気になっていた。
「アクロス・ザ・ユニバース」はレノン=マッカートニー作品であるが、実質的にはジョン・レノンの作とされる。ジョンの楽曲の中でも特に歌詞が印象的な作品であり、"words are flowing out like endless rain into a paper cup" という一節が浮かんだ後、しばらく考えた末に一気に書き上げた、とジョン自身は語っている[1]。
^1 1968年にインドで受けたマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーの講義から着想を得たとされることもあるが、時系列的にこれは誤り。
誰も触ることができない僕の心の世界。僕は実在であり、僕の心は非実在。郵便ポストの中の風 紙コップに溢れる雨の水 饒舌な沈黙 これらすべてはジョンレノンによる有限の中に押し込められた無限の表象である。なぜあの時代こういう詩が通用したのか?人類はあの時に魂の飛躍チャンスを逃した。それ以来無限は原始的な有限の成長に置き換えられた。有限の成長に無限の未来を信じる人類は、信心のない司祭が金で救いを祈る憂鬱な毎日を過ごす反復の囚人たちとなった。
死を畏るゝは生後の情なり、躯殼くかく有つて後に是この情あり。死を畏れざるは生前の性なり、躯殼くかくを離はなれて始て是の性を見る。人は須すべからく死を畏れざるの理を死を畏るゝの中に自得じとくすべし、性に復かへるに庶ちかし。
人間が死を恐れるのは生まれてきた属性に過ぎない。と西郷南洲は言っていた。無限の表象を失った人類には、個の積み上げしか認識できず、死を恐れる社会しか建設できない。故にメディアには恐怖を煽る罠に躓く喧伝が多い。
吾れ思ふ、我が身は天物なり。死生の權(けん)は天に在り、當に之を順受(じゆんじゆ)すべし。我れの生るゝや自然にして生る、生るゝ時未だ嘗て喜(よろこ)ぶことを知らず。則ち我の死するや應(まさ)に亦自然にして死し、死する時未だ嘗て悲むことを知らざるべし。
天物なればこそ生死はわがことではない。この歌の詩はいづれも有限の中に押し込められた無限の表象である。なぜあの時代こういう詩が通用したのか?自由に向けた魂の飛躍は言葉だけでは達成できない。天物の配置を超越するものから聞き、見えざるものを見る必要がある。
「沈黙は絶えず語っている。沈黙は話すことによって妨げられてきた絶え間ない言葉の流れである。」『あるがままに ラマナ・マハルシの教え』p192
「沈黙は絶えず語っている。沈黙は話すことによって妨げられてきた絶え間ない言葉の流れである。」『あるがままに ラマナ・マハルシの教え』p192
ジョン・ウィンストン・オノ・レノン (John Winston Ono Lennon、1940年10月9日 - 1980年12月8日) は、イギリス出身のミュージシャン、シンガーソングライター。ビートルズにおいてヴォーカル、ギターなどを担当し、レノン=マッカートニー名義で作詞作曲をした。ビートルズ解散後はソロとしておもに小野洋子と活動した。息子にシンシア・レノンとの間に生まれたジュリアン・レノンと小野洋子との間に生まれたショーン・レノンがいる。