実はドアップが多かった理由はNHK大阪のスタジオが狭かったかららしい。それでもいい、いやそれがいい。和田氏座右の銘「絶望の虚妄なること、希望の虚妄なるが如し」決して晩年は創作のチャンスに恵まれていたとは言えない和田勉だが、ドラマ=フィクションに華のあった時代の裏方の想いは時代からの断絶にあった。情報が多い時代ほど時代にあわせようとする。イランにおける「おしん」のヒットのように、情報の無い時代のフィクションのパワーは絶大だった。もう二度とドラマの時代は戻ってこない。
櫻井眞一郎氏は清水建設に入社してすぐに生コン車を発明した建築業界に貢献した人でもあるが、むしろスカイラインの設計者、ディレクターのほうが有名。彼に学びたいのは、自動車設計がやりたくて、当時弱小のたま自動車に入社した事だろう。
和田勉さんにしても櫻井眞一郎さんにしても、結局は人のイマジネーションを信じる力だということだ。
PS
昨日1月30日 NHKで和田勉追悼の番組が「天城越え」をやってたが、TVドラマの質を越えて生の舞台をみているように迫る映像だった。もうつくれないだろうな。
櫻井眞一郎氏は清水建設に入社してすぐに生コン車を発明した建築業界に貢献した人でもあるが、むしろスカイラインの設計者、ディレクターのほうが有名。彼に学びたいのは、自動車設計がやりたくて、当時弱小のたま自動車に入社した事だろう。
和田勉さんにしても櫻井眞一郎さんにしても、結局は人のイマジネーションを信じる力だということだ。
PS
昨日1月30日 NHKで和田勉追悼の番組が「天城越え」をやってたが、TVドラマの質を越えて生の舞台をみているように迫る映像だった。もうつくれないだろうな。
しゃべくり漫才の名人芸で知られた兄弟コンビ「夢路いとし・喜味こいし」の弟、喜味こいしさん死去の報に、桂米朝さんらが故人を悼むコメントを出した。
◇
また一人、昔話をする人が減ってしもて、淋(さび)しい限りです。いとこいさんの漫才には品がありましたな。一切お客さんをいらわずに、2人の会話だけで進めて行く。呼称は常に「君」と「僕」。決して「おまえ」、「どついたろか」といったドぎつい言葉は使いません。上品の極みや。今の漫才さんの中に、このスタイルを受け継いでくれる人がおるかしらん。こいしさんは私より二つ年下やが、芸歴は私より古いんです。旅芸人の一座に生まれ育ったんでっさかいな。彼と古い話をしだすと、もう止まりません。最近も放送局の控室で何時間も話し込んだことがありました。(落語家・桂米朝さん)
◇
今月17日に病院に呼ばれて、「しんどい、もうアカン」とつらそうに言うんで「兄ちゃん、みんなのためにもがんばらなアカン」と励ましたばかりでした。本当に悲しい、涙が出ます。昔からやんちゃ坊主で、曲がったことが嫌いでした。若い人の手本になるしゃべくり漫才で、みんなに尊敬されていたんです。ご冥福をお祈りします。(交友が半世紀以上に及ぶ「かしまし娘」の正司歌江さん)