この本には別の魅力がある。歴史、そうした昭和の戦前戦後、銀座 川辺るみ子の『エスポワール』 や 上羽秀の京都木屋町『おそめ』 そして、おそめの銀座進出。繁栄の30年代、銀座に地方資本が入り出した第二世代 指名システムで成長した花田美奈子の『ラ・モール』、さらに第三世代の銀座の高級クラブ 山口洋子の『姫』(梶山季之、五味康祐、柴田錬三郎、川上宗薫、吉行淳之介、野坂昭如文壇の常連、1993年山口の経営は譲渡して終了。2013年8月譲渡後の「姫」は閉店) も、田村順子の順子 も一切知らなかった著者石井妙子。石井妙子が、徹底的に取材して当時の上流の世間を再現した。
妙子自身初めてのノンフィクションということも、未知の世界ということも著者自身が冒険する疾走感がある。そのうち感想を書いてみようと思う。
おそめこと上羽秀は、花街のレジェンド、映画「夜の蝶」のモデルである。おそめの選んだ世間は、まず東京だった。生き方も、東京だった。詳しくは稿をあらためるが、上羽秀(おそめ)の場合、自ら選んだ世間と現実の幸福と花街の中で強く勧められる世間の幸福とのミスマッチということが、彼女の人生を大きく変えた。
おそめこと上羽秀は、花街のレジェンド、映画「夜の蝶」のモデルである。おそめの選んだ世間は、まず東京だった。生き方も、東京だった。詳しくは稿をあらためるが、上羽秀(おそめ)の場合、自ら選んだ世間と現実の幸福と花街の中で強く勧められる世間の幸福とのミスマッチということが、彼女の人生を大きく変えた。
個人的体験だが、私が中学1年のある日、母方の叔父が父のところに(いずれも故人)結婚を考えている女性を連れてきた。わたしは「へーそうなのか」と思った。なぜなら父の意見をきいて叔父は結婚を見送ったからだ。世間とは自分の意志を通せない、そういうものかという衝撃を受け、また嫌悪した。その頃父といえば、港町の飲屋街のどこの店やらなにやら、分からないが、末広町あたりで飲んで夜中に帰ってくることも多かった。私はそういう大人を見ると不思議な世界に棲んでいる別の生物を見ているような気がしていた。大怪我して帰ってくると、タクシーに衝突したとか、嘘としか思えないような、それなら死んでも不思議じゃないアクション話を怪我の言い訳にしていた。家族にさえ嘘で固めた世間体が当たり前の父だった。そんな親父も今は鬼籍の人だ。
世間を正確に観察して文字にするには、永井荷風のように世間を拒絶して生きなけれならない。世間体を気にしているようでは踊り子の生態を見ることはできない。