『京都に「わらんじや」と云う有名な料理屋があって、こゝの家では近頃まで客間に電燈をともさず、古風な燭台を使うのが名物になっていたが、ことしの春、久しぶりで行ってみると、いつの間にか行燈式の電燈を使うようになっている。いつからこうしたのかと聞くと、去年からこれにいたしました。蝋燭の灯ではあまり暗すぎると仰っしゃるお客様が多いものでござりますから、拠んどころなくこう云う風に致しましたが、やはり昔のまゝの方がよいと仰っしゃるお方には、燭台を持って参りますと云う。で、折角それを楽しみにして来たのであるから、燭台に替えて貰ったが、その時私が感じたのは、日本の漆器の美しさは、そう云うぼんやりした薄明りの中に置いてこそ、始めてほんとうに発揮されると云うことであった。「わらんじや」の座敷と云うのは四畳半ぐらいの小じんまりした茶席であって、床柱や天井なども黒光りに光っているから、行燈式の電燈でも勿論暗い感じがする。が、それを一層暗い燭台に改めて、その穂のゆら/\とまたゝく蔭にある膳や椀を視詰めていると、それらの塗り物の沼のような深さと厚みとを持ったつやが、全く今までとは違った魅力を帯び出して来るのを発見する。』
《日本の漆器の美しさは、そう云うぼんやりした薄明りの中に置いてこそ、始めてほんとうに発揮される》とまで言うからには体験してみたいものだが、停電で体験するのは願い下げだ。煮炊きが出来ることこれは原始の人間が文明を生み出すの基礎条件だった。なぜならこれにより人間は食事の時間を短縮できたからだ。
反文明の思想家で70年代に暗闇の思想などと言った人がいた。思い出せないので調べてみると思想家ではなく歌人だった。
松下竜一(まつした りゅういち、1937年(昭和12年)2月15日 - 2004年(平成16年)6月17日 )は、日本の小説家、歌人。大分県中津市出身。
素朴な痩せ我慢のアンチ開発だが、原発ではなく火力発電所に対するアンチだった。ずいぶんデフォルメされて伝えるものだ。
《日本の漆器の美しさは、そう云うぼんやりした薄明りの中に置いてこそ、始めてほんとうに発揮される》とまで言うからには体験してみたいものだが、停電で体験するのは願い下げだ。煮炊きが出来ることこれは原始の人間が文明を生み出すの基礎条件だった。なぜならこれにより人間は食事の時間を短縮できたからだ。
反文明の思想家で70年代に暗闇の思想などと言った人がいた。思い出せないので調べてみると思想家ではなく歌人だった。
松下竜一(まつした りゅういち、1937年(昭和12年)2月15日 - 2004年(平成16年)6月17日 )は、日本の小説家、歌人。大分県中津市出身。
素朴な痩せ我慢のアンチ開発だが、原発ではなく火力発電所に対するアンチだった。ずいぶんデフォルメされて伝えるものだ。