「水戸藩士約千人のうち、百石以下が七百人、この百石以下の平士は内職を許されていましたし、禄だけでは生活ができないので、家族も、無役の人は当主までいろいろの内職をしました。」「平士の身分では、女中はおかない家が多くても、家来はなるべくおくことになっていました。」
「良家の婦人が外に出るのは盆暮れに実家への挨拶、親戚の吉凶、親の命日の墓参り、神社の参詣ぐらいのもので、ほかにはまず出ませんでした。」
従って水戸城下に外出する人は殆どが男だったらしい。水戸藩の城下の空気がかなり武家的で、必ず家来を連れて歩くという感じだったみたいだ。百石以上であれば家来三人、女中二人、馬1頭が基本セットだったらしく、同じ時代の江戸とは随分と臨戦的形式を強要されていたようだ。お菓子を食べることもなく座布団も知らなかったというから相当に貧乏であったらしい。「子年のお騒ぎ」以降は戦死、獄死、死刑で二千名が死に、潰された家柄が城下にあふれてお化け屋敷が建ち並ぶありさま。。。。
さて明治になって
「内紛と復讐に没頭して中央の政治勢力から落伍してしまった水戸藩は、世間の進歩からも取り残され、文明開化の声すら聞かず、御一新が来ても天狗さんが諸生さんに替わったというだけで、ほかにはなんにもかわりませんでした。」
諸生党が勝手に死刑を執行していたので中央政府に禁止された、とあるからどれだけ水戸藩が内ゲバで空回りしていたか様子が見えてくる。せめて原市之進が生きていればと筆者は嘆息する。
凡河内 香賜(おおしこうち の かたぶ)が日本の指名手配斬首刑第一号
5世代前の日本人にとっては当たり前であった家柄の防衛や名誉の死は消え去ったと考えていい。それもあっという間になくなった。今現在日本人が当たり前と思っている価値もなくなってしまえば二度と再生しない。しかし歴史は再び巧妙な侵略を正当化しようとしている。明治維新以来封印されてきた自力救済、幕府は享保期にはもう制度疲労が限界に来ていて、課税ベースを失い、人事権も失って、それでもただ権威だけで100年制度を引っ張り続けた。幕府の浮力も転覆も、家柄の防衛や名誉の死というものが精神的遺産としてあったからできたことだ。日本人に自力救済が再生を導く時が近づいている。何をもって日本を再生するか、官民の立場を超えた同族日本人という精神遺産によるしか無い。
うす汚された日本シリーズ
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