公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

予測する葦

2012-01-01 00:00:00 | ドラッカー
 仕事をしていて最も楽しい事は、予測が当たる事だろうと思う。一人前のプロフェッショナルになった気がする。
 ビジネスばかりでなく、科学的未知の世界のことならなおさらで、科学は比べるものがないほどおもしろい。
 仮説と実証を繰り返すのが科学だが、実証が先(さらには予算が先)という誤解がある。本当に新しい科学は正しい疑問から始まる。量子力学の標準理論に至る過程で武谷三男や坂田昌一の果たした役割はまさにそこ<正しい疑問>に至る本質認識過程の論にある。詳しくはここの小川修三氏の物理学会への寄稿文を参照されたし。

(以下引用)
文献6)より「自然を全体的関連から引き離してその個別において研究する態度は自然科学の発展の初期の段階においては極めて有力な方法であり,近代自然科学の偉大な進歩の根本条件であった.…しかしBaconに始まる斯様な形而上学的方法はその適用限界を超えればたちまち一面的な偏狭なものと化し,解くべからざる矛盾に迷いこむのである.…従来は場の理論において個々の場の相互作用が単独にとりだされ他と切り離して研究されて来た.ところが私どもは同一の粒子と作用する全ての場及び同一の場の湧源となるすべての粒子の相互作用間の内部的な関連を探求することが今後の理論的発展の有力な方法であり,現在の理論の困難を解決する有望な路である…私どもが湧源の多様性をも含めた混合場理論の総合的研究の必要を説く所以は,本質論への移行に先立って現象論的実体論的段階の整理が大切な仕事と考えるからである」.
(引用終わり)


実証の設計が自分で出来なければ科学者ではない。ほとんどの科学者は疑問を解くために準備する勝手独自の設計では客観実証が出来ない危険があるので、過去の研究に頼る。だが過去の実証設計は誰かの疑問のためのお膳立てであって、所与の方法論は自分自身の疑問とは本来無関係なのだ。そこに<正しい疑問>に至る本質認識過程の論の余地がある。

 但し正確さと感度、再現性が役に立つのならば使える。重要な事は自分の知りたい感度と精度、再現性を知るという事。

 こういう習慣はビジネスでも役に立つ。


「意思決定についての文献のほとんどが事実を探せという。だが、仕事のできる者は、事実からスタートすることなどできないことを知っている。誰もが意見からスタートする」(ドラッカー名著集(1)『経営者の条件』)





文 献

6 坂田昌一:『物理学と方法,論集1』(岩波書店,1972)p.201-208-素粒子論の方法.

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