電子の流れで、生命現象を読み解くと、どのくらい酸素というものがありがたいものかよくわかる。
動物は何らかの生物を食べて、二酸化炭素と水とアンモニアを少々放出している。
電子の流れだけからこれを整理すると、最終的に酸素分子が電子(プロトンも随伴する)の引き取り手となっている。もう少し親切に説明すると、動物が食べるものには何らかの化学エネルギーが蓄えられていて、それを少しずつ利用可能なものにすることで動物は成長したり、恒常性(昨日と今日が変わらないが、物質は入れ替わる)を保ったりしている。
もう少し卑俗に言うと、色々な資産を逐次現金化して生きている。
この逐次現金化出来る状態というのが、酸素分子がほどほどに豊富な状態でないと、電子の引き取り手が不足して手も足もでなくなって死んでしまう。もちろん酸素分子に依存しないで現金化(ATPのような高エネルギー結合を分子内部に持つ化合物に置き換わること)する経路もあるにはあるが、酸素分子が豊富な世界に適応進化したから、とても間に合わない。
さて上流の電子はいったどこで作られているかというと、根源をたどれば太陽光のエネルギーということになる。太陽光は電子もつくり、酸素分子もその余剰産物としてつくることで巨大な電子のダムを地球上に創った神といってもいい過ぎではない存在だ。
我々はダムの溜り水みたいなもので、動いているけどいつもそこにあるという存在だ。だから生物は全部”動的物”と言ったほうがいい。
このように大きなところから概観すると電子の流れが速くなったり遅くなったりして”動的物”は生かされている。時々この速度変化に追いつけなくて、酸素分子に過剰な電子を与えてしまったりすることがある。
これが活性酸素種といわれるものです。時々これが悪さをする。
”動的物”は生きている限り必然的に酸素は現金化の味方であると共に敵でもあるわけです。なんだかユーロエリアの経済危機の話に似てきましたが、経済もまた動的恒常システムなので、生産された付加価値には何らかの最終の引き取り手が必要です。これが消えるのは地球に酸素がなくなるのと同じ事でパニックになります。
ユーロは小さな酸欠状態になっています。こういう時は経済という動的恒常システムがどういう動因があって発展したのかこれをみなくてはいけません。
経済において酸素分子に相当するものは人口増加、消費者の健全な、実質上の成長です。
しかし地球は明らかに人口増に頼れなくなっています。なぜなら20世紀の爆発的人口増は、食糧生産の強化すなわちそれは石油資源による窒素肥料の増産が人口を支えてきたからです。
どうしたらいいのでしょう。答えは比較的単純です。荒廃した耕地の利用度を上げる。
このためにもう一度農業に投資しなければなりません。食品の価格から巨大投資を回収できる時代ではありません。このままでは経済的動機が生まれません。だから農業に関して世界同一市場と相場というすでに終わった時代の仕組みは捨てなければならないのです。
これが”動的物”である経済の持続ということです。
悪さをする酸素の上の過剰な電子ならば蒸発(スキャベンジ)させれば解決できます。そういう解決方法もあります。歴史上その多くが戦争です。今は帝国主義時代みたいに他国を自国のトイレのように使える時代ではありません。
人口増が限界の国は、より質の高い消費に向かうとき経済は大きくなります。これには不連続があります。自転車を買うとき、冷蔵庫を買うとき、車を買うとき、家を買うとき。教育に投資するとき。ひと通り終わってしまった社会から停滞が始まるのは当然です。電子の受け手は人口比例財物サービスだけではありません。質により多くのコストをかけるのが当然となる世界がもうすぐやってきます。
次に日本が世界に向けて売るものは素早く流通する形のないものです。ソフトと知恵。アートと審美眼。メディカルサービスと暗号化通信。
動物は何らかの生物を食べて、二酸化炭素と水とアンモニアを少々放出している。
電子の流れだけからこれを整理すると、最終的に酸素分子が電子(プロトンも随伴する)の引き取り手となっている。もう少し親切に説明すると、動物が食べるものには何らかの化学エネルギーが蓄えられていて、それを少しずつ利用可能なものにすることで動物は成長したり、恒常性(昨日と今日が変わらないが、物質は入れ替わる)を保ったりしている。
もう少し卑俗に言うと、色々な資産を逐次現金化して生きている。
この逐次現金化出来る状態というのが、酸素分子がほどほどに豊富な状態でないと、電子の引き取り手が不足して手も足もでなくなって死んでしまう。もちろん酸素分子に依存しないで現金化(ATPのような高エネルギー結合を分子内部に持つ化合物に置き換わること)する経路もあるにはあるが、酸素分子が豊富な世界に適応進化したから、とても間に合わない。
さて上流の電子はいったどこで作られているかというと、根源をたどれば太陽光のエネルギーということになる。太陽光は電子もつくり、酸素分子もその余剰産物としてつくることで巨大な電子のダムを地球上に創った神といってもいい過ぎではない存在だ。
我々はダムの溜り水みたいなもので、動いているけどいつもそこにあるという存在だ。だから生物は全部”動的物”と言ったほうがいい。
このように大きなところから概観すると電子の流れが速くなったり遅くなったりして”動的物”は生かされている。時々この速度変化に追いつけなくて、酸素分子に過剰な電子を与えてしまったりすることがある。
これが活性酸素種といわれるものです。時々これが悪さをする。
”動的物”は生きている限り必然的に酸素は現金化の味方であると共に敵でもあるわけです。なんだかユーロエリアの経済危機の話に似てきましたが、経済もまた動的恒常システムなので、生産された付加価値には何らかの最終の引き取り手が必要です。これが消えるのは地球に酸素がなくなるのと同じ事でパニックになります。
ユーロは小さな酸欠状態になっています。こういう時は経済という動的恒常システムがどういう動因があって発展したのかこれをみなくてはいけません。
経済において酸素分子に相当するものは人口増加、消費者の健全な、実質上の成長です。
しかし地球は明らかに人口増に頼れなくなっています。なぜなら20世紀の爆発的人口増は、食糧生産の強化すなわちそれは石油資源による窒素肥料の増産が人口を支えてきたからです。
どうしたらいいのでしょう。答えは比較的単純です。荒廃した耕地の利用度を上げる。
このためにもう一度農業に投資しなければなりません。食品の価格から巨大投資を回収できる時代ではありません。このままでは経済的動機が生まれません。だから農業に関して世界同一市場と相場というすでに終わった時代の仕組みは捨てなければならないのです。
これが”動的物”である経済の持続ということです。
悪さをする酸素の上の過剰な電子ならば蒸発(スキャベンジ)させれば解決できます。そういう解決方法もあります。歴史上その多くが戦争です。今は帝国主義時代みたいに他国を自国のトイレのように使える時代ではありません。
人口増が限界の国は、より質の高い消費に向かうとき経済は大きくなります。これには不連続があります。自転車を買うとき、冷蔵庫を買うとき、車を買うとき、家を買うとき。教育に投資するとき。ひと通り終わってしまった社会から停滞が始まるのは当然です。電子の受け手は人口比例財物サービスだけではありません。質により多くのコストをかけるのが当然となる世界がもうすぐやってきます。
次に日本が世界に向けて売るものは素早く流通する形のないものです。ソフトと知恵。アートと審美眼。メディカルサービスと暗号化通信。