『人生というものは老後にあるのだ。君らが六十くらいになって過去を顧みて、過去六十年間というものは、ああ六十年間だったというだけで、一瞬にすぎない。..(略)..それだから過去は短い、将来は長い、それならば過去にいいことをして将来に楽しめというのが私の人生観である。』昭和30年7月(臨時増刊「財界人物」掲載出光佐三「人間尊重五十年」p416~417
宝は道心 打ち込む心
天台宗伝教大師最澄の『伝述一心戒文(でんじゅついっしんかいもん)』の中のお言葉
道心の中に衣食あり
衣食の中に道心なし
菩提心(ぼだいしん、梵: bodhi-citta)とは、さとり(菩提,bodhi)を求める心(citta)のこと[1][2]。大乗仏教に特有の用語である[2]。菩提心は阿耨多羅三藐三菩提心の略とされ[注釈 1]諸説あり、無上道心、無上道意、道心ともいう[1][3]。
どちらにしても大乗仏教は仏教の里インド方面から見たならば異教的変形だから、国の宝が道心とは、国家宗教家最澄の創作といって良い。
鉄眼禅師といえば戦前は修身教科書に記載されたぐらい有名だった。この人も道心の人だった
鉄眼禅師は、仏教国日本に一切経版木の無いことを残念に思い、一切経(大蔵経)を開版(出版)しようとしたのです―
彼は寛文4年(1664)頃に隠元禅師にその志を相談すると、隠元禅師は感銘を受け、大明王朝の万暦ばんれき17年(1589)から大清王朝の康煕15年(1676)にかけて皇帝の勅命で編纂された勅版大蔵経(『万暦版大蔵経』、6956巻)と黄檗山内にそれを保管する寺地を授かり、蔵版・印刷所としての宝蔵院を建立、また、洛中・木屋町二条の地に印経房(のちに貝葉ばいよう書院)を設け本格的な事業が始まります。
順調に開版事業が進むかのようでしたが、大洪水や飢饉ききんなどの災害被害に喘あえぎ苦しむ人々を目の当たりにした鉄眼禅師は事業を中止しては、全国行脚あんぎゃをなどして苦心して募った資金の全てを難民救済に差し出します。
そういった艱難辛苦かんなんしんくを経て漸ようやく、延宝6年(1678)鉄眼禅師51歳の時に事業は完成したのです。
1618部7334巻からなる、この一切経(大蔵経)は「黄檗版」あるいは「鉄眼版」と呼ばれます。