金利はお金のレンタル料金。
これほど短く資本主義経済を説明する言葉はない。
社会には常に必要なものが少ないところと余っているところがある。社会主義であれば命令によって必要なところにお金やモノを移動させることが可能だが、自由取引では余剰といえども不要にはならない。いずれは戻して原状回復してもらう。その時に差し入れる担保は相応の価値信用と流動性が必要になる。国債などは好ましい担保であるが、持たざるところに分配する原理からして、誰もが好ましい担保を持っているものではない。
では持たざる者がどうやって担保を差し入れるか?今から買い入れる資産を担保にする。これならば資産家でなくても現金を借りられる。もちろん無価値な資産でないことが前提である。つまり投資という形態で資産を増加させようとする動機に価値形成合理性さえあれば無から借入れ資産が生じる。
もっと簡単に言えば、未開フロンティア情報があれば現金を相手から料金を払ってレンタルさせることができる世界が金利のある世界が生じる。
市場貨幣が十分なときであって、貸し付け借入れ参加者が増えれば情報の価値の動揺(社会主義にはこれがない)に応じてレンタル料金=金利が上下する。逆に世間はその上下動揺をみて社会がある情報の方向に向けた価値に満ちていることを投影させて知る。これが資本主義社会である。価値に溢れ通貨びたしが原因で庶民に怠惰な態度が蔓延してフロンティア情報に内容方向性が無くなったとき、市場貨幣が相対的に過剰な状態つまりインフレになる。
情報の方向性を掘り当てるものが社会に現れ続けるように資本主義社会は自由競争でなければならない。投資フロンティア情報が実質プラマイゼロになればどんなに市場通貨を引き締めても市場は相対的に通貨びたしになる。これが今日本と先進国を苦しめているスタグフレーションである。