公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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ポツダム宣言受諾過程 3Sの原点ハリー・S・トルーマン

2020-08-09 19:52:00 | 歴史探訪


以下&が定説となっているが閣僚が黙殺あるいはrejectという言説は出ていない。反応しないという申し合わせが翌日の新聞をみて一様に驚いたとなっている。『宰相鈴木貫太郎』小堀圭一郎著 p214

7月27日、日本政府は宣言の存在を論評なしに公表した。ところが翌28日の新聞報道では、読売新聞で「笑止、対日降伏条件」、毎日新聞で「笑止! 米英蒋[37]共同宣言、自惚れを撃破せん、聖戦飽くまで完遂」「白昼夢 錯覚を露呈」などという新聞社による論評が加えられていた。また陸軍からは政府が宣言を無視することを公式に表明するべきであるという強硬な要求が行われ[35]、同日、首相鈴木貫太郎は記者会見で「共同声明はカイロ会談の焼直しと思う、政府としては重大な価値あるものとは認めず「黙殺」し断固戦争完遂に邁進する」(毎日新聞、1945年(昭和20年)7月29日)と述べ(記事見出しは全て現代仮名遣いに修正)、翌日朝日新聞で「政府は黙殺」などと報道された(産経新聞は1950年創刊でこの当時は存在しない)。この「黙殺 (Mokusatsu) 」は日本の国家代表通信社である同盟通信社では「ignore」と英語翻訳され、またロイターAP通信では「Reject(拒否)」と訳され報道された。東郷は鈴木の発言が閣議決定違反であると抗議している[35]。なお、ラジオ・トウキョウがどのように応えたかは確認されていない。

トルーマンは、7月25日の日記で「日本がポツダム宣言を受諾しないことを確信している」と記載したように、日本側の拒否は折り込み済みであった[32]。むしろ宣言のみによる降伏ではなく、宣言の拒否が原子爆弾による核攻撃を正当化し、また組み合わせて降伏の効果が生まれると考えていた[32]

「米国人を対象にした1945年のギャラップの調査では、85%がトルーマン大統領の決断を支持していた。しかし2018年のピューの調査によれば、日本に対する核兵器の使用は正当化できると答えた米国人は56%に減っている。」CNN

「自分のやったことの功績が、誰の物になっても、気にしないというのであれば、人間は一生の間に、どんなことでも達成できる
ハリー・S・トルーマン

皮肉なことだが、トルーマンが理想とする人、鈴木貫太郎はまさにそういう人であった。当時そのことを知る由もなかっただろうが。

以下「祖父・鈴木貫太郎 孫娘が見た、終戦首相の素顔」より
貫太郎は大戦艦「スワロフ」の襲撃に加わって最後を見届け、二隻を沈める戦果を挙げた。帰港してその旨を報告すると、秋山参謀に「君のところだけ二隻では多すぎる、一隻は他へ裾分けしたから承知してくれ、と言われた。秋山らしい言い方だったので、よろしいと言っておいた」という。自分の挙げた戦果に拘泥せず、言い方が気に入ったからと、あっさり他に譲ってしまうあたりは、いかにも祖父らしい気がする。


鈴木 道子. 祖父・鈴木貫太郎 孫娘が見た、終戦首相の素顔 (pp.88-89). 朝日新聞出版. Kindle 版.

8月6日には広島市への原子爆弾投下が行われ、広島市における甚大な被害が伝えられた。また8月9日(日本時間)の未明にはソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄し、満州国朝鮮半島北部、南樺太への侵攻を開始(ソ連対日参戦)、ポツダム宣言に参加した。これらに衝撃を受けた鈴木は、同日の最高戦争指導会議の冒頭で「ポツダム宣言を受諾する他なくなった」と述べ、意見を求めた。強く反対する者はおらず、また会議の最中に長崎市への原子爆弾投下が伝えられたこともあり、「国体の護持」「自発的な武装解除」「日本人の戦犯裁判への参加」を条件に、宣言の受諾の方針が優勢となった。しかし陸軍大臣阿南惟幾は、なおも戦争継続を主張し、議論は天皇臨席の最高戦争指導会議に持ち越された。


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