こんな面白い人物がこれまでドラマの主人公になっていないのは不思議。百田尚樹あたりがおもしろおかしく描いてほしい。
私が見た杉山茂丸は、退屈浪人。悪戯者。その当時のアングロフレンチあるいはアングロアメリカの世界戦略の絵の中に矛盾しない東洋の偉大な点景が杉山茂丸である。其れもただの点景ではない。日本国がそこを中心にぐるぐる旋回しているという意味で、避けがたい歴史の必然舞台に現れた名優と思う。
杉山茂丸は何一つ所属する事のない自助と「独立の」人物であった。もちろん玄洋社の社員ではなかった。こんな面白い人物をドラマにしないというのはどういうことだろう。法螺と真実の境目がわからないためか?
興味深いのは、茂丸のシナの評価である。
曰く「支那は永久に滅びざる強国である。日本は支那の行為によりては、直ぐ目前に滅びる弱国である。」
明治27年(1894年)、杉山は同郷の先輩である金子堅太郎の知遇を得て、経済政策を語り合うようになった。またこの前後、東京日日新聞主筆の朝比奈知泉と知り合い「暢気倶楽部」と呼ばれる会合を持つようになって伊藤博文・桂太郎・児玉源太郎・後藤新平と人脈を広げた。杉山は金子と協力して工業資本の供給を行う興業銀行設立運動を始め、朝比奈は金子や杉山の動静を東京日日新聞で報道して世論形成に一役買った。杉山は明治30年(1897年)に初めて渡米し、アメリカの工業事情を視察すると、翌明治31年(1898年)にも渡米して、世界の金融王J・P・モルガンと単独面会し、かつ巨額の借款を約定することに成功した。杉山らの興業銀行設立運動は、伊藤博文総理や井上馨蔵相の理解を得たものの、地租増徴問題をめぐる内閣と議会との混乱の中で握りつぶされる結果となり、隈板内閣を経て第2次山縣内閣によって、明治33年(1900年)に「日本興業銀行法」が成立する。しかし、貴族院や国内の銀行家の反対により外資導入は不可とされ、杉山がモルガンとの間に結んだ資本導入は実現しなかった。
正史では外資は導入されなかったことになっているが、ハウス大佐の記録*はこれと矛盾している。興業銀行には外資は入らなかったが、私は『とあるところ』に政治資金が導入されたと思っている。
*1916〜31年の1米ドルは当時の日本円でおよそ2円。当時の物価や給料と現在の物価や給料を比較すると、当時の1米ドルは現在の日本円で4千〜5千円に相当すると思われる。1億ドルは約4〜5千億円ということになる。