AI要約
共感的光明を肯定的、言語に発する人に出会えることは近年稀である。共感的光明から得た肯定的言語が議論へと次々と疑問を発し続ける。偽りの無い誠心が二者の重心を中心として回り出し、やがて至誠の友情となる。
共感的光明を肯定的言語に発する人に出会えることは近年稀である。特に社会人には出会える機会がない。
これは宗教家やカリスマ性とはちょっと違う。
何か違うかと言えば、その人に感じる光る言語にはその人の背中を通してこちらの脳裏に投影される誠心が見えるのだ。
もう死んだ友人の話ではあるが、その言語の投影がまだ私の脳裏のどこかに残っている。草葉の陰に行った人の言語も、志のもとに散った人の言語も、私はその言語を別の誰かに投影できただろうか?
今はただ精神的なキャッチボールする相手がいない野原でひとりボールを握る。
彼らとは再び二度と語り合えないが、どうしても頭から消えない若さゆえのキャッチボールの議論がある。
1、人間の人間的解放は善なのか。
2、人間は自らを正しい方向で解放できるものか。
3、そもそも人間存在は善なのか。
若さがあって柔軟だった言語操作が歳とともに出来なくなったのかも。柔軟な言語は権威に頼ることなく自分の頭で考え、世間常識とは全く別の方角から重大な問いを撃ち落とす。それができない老人は言語テロリストに志願するしかない。