公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

今日も暖かい

2013-04-18 11:41:49 | 日記
今日も暖かい。汗ばむくらいだ。

通勤中に浅田次郎はやばいね。霞町物語、雛の花 は涙が出て止まらなかった。

浅田次郎の作品には古風な書き言葉が、どうしても削れない装飾のように使われている。
例をあげると

気鬱
赫赫
などはいいとして

端倪すべからざる人物 とくるとやや小説格調が高い。池波正太郎が、剣客商売のなかで秋山小兵衛を端倪すべからざる人物としているとしているらしいので、用例は時代小説に多いのかもしれない。あとで原著を調べてみよう。だいたいどういう意味かっていうと、ものの記述によると「隅に置けず、侮れない人」という通俗の意味はその語源からすると誤用らしく。
元は端(はし)と倪(果て)端倪は単に見通しのことだから、見通せない人物ということらしい。

浅田次郎が「。。しかるのちにトイレであるから、その順序だけでも彼は端倪すべからざる人物と言えた」(ハッピーリタイアメント)とニック・オノを描いたのはどっちの意味か私は掴みかねた。 そこで調べる手間をかけたわけだが、純粋な意味では無さそうに思う。簡単に言うと

計り知れない人物か。。現代語で言えば、技量・器量が大きすぎて良い印象よりもむしろ薄気味悪いオーラを発しているとでもいうべきかな。

池波正太郎における端倪すべからざる人物 用法が気になる。またkindleに稼がせることになるのか。

原著でとりあえず、4箇所発見
剣客商売 2 辻斬り 「小さな、見るからにたよりなげな老人にすぎぬ秋山小兵衛の、端倪すべからざる手練を十二分に味わった永井十太夫としては、」(一日も早く、あの老いぼれを始末してしまわねばならぬが.......では、どのような手段をもってしたらよいか?)

おなじく
剣客商売 2 老虎  「双方とも、抜群の力量をそなえた剣客でありながら、いささかの衒いもなく、大治郎が見ていても、こころよかった。大治郎はあらためて、世故にたけた端倪すべからざる父の、別の一面をはっきりと見たおもいがした。」

手練と父を修飾している。どちらかというと池波正太郎は人物にもその能力にも適応できると考えているようだ。まさに原義のとおりの用法である。さすが。池波正太郎。

剣客商売 3 陽炎の男 「男装の三冬の、まだ抜刀はしていないが端倪すべからざる身構えにも、おどろいたらしい。」

剣客商売 3 嘘の皮  「実にどうも、端倪すべからざる父の姿を目のあたりに見て、秋山大治郎は、次の言葉も無い。」

身構えも修飾するとなると、やや怪しくなってくるが、まあ原義どうりなのだろうね。


浅田次郎で端倪すべからざるをまた発見した。よっぽどこの言い回しが好きなんだろうね。

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