AI要約
明治の剣豪に、山田次朗吉翁という剣豪がいたと筆者が述べている。関東大震災の4年も前に予言していたことが、当時の国内雑誌に載っている事実。予知夢で観た自分の躯は、死後も見て思うことが生じるという実例だという。
大久保利通は剣豪というよりは優れた政治家だが、西南戦争の後は死期、むしろ自分の御役目の終盤を感じ取っていたらしい。西欧視察中も終始口はきかず、開国に暗澹としていた。本当は大西郷と同じ気持でありながら、政治家故に大西郷の捨て身(征韓の戦端を自らの死によって拓く)戦術には与しなかった。そのような精神力は今の中の未来を見ていた。
ここに第三の直感というものの無辺の働きを益々確信する。デカルトの「我思う故に我存立す」と同値の「我在らざれば我思わず」という命題が偽であるということはこのように確かである。
死後の大久保利通が前島の目を通して認識しているのである。事前に死期を知ったのは、大久保利通の精神修養の精華だった。
科学万能の時代であるから、予言など云々しても相手にされないが、このような歴史的な事例はいくつでもある。だからこそ霊的日本人は死後の再会を信じている。西欧人は葬儀に行って本当に死んだことを確認するが、霊的日本人は会話しに行く。
科学の発見も説明できない答えの先行ということはゴロゴロしている(例えばケクレ、彼が夢で見たのは、六人の小人が手をつなぐビジョンがベンゼン環の構造に書き写された、有名なメンデレーエフは夢で見た表を紙に書き写し周期律表にした。)。たたそののちに実験で理論が実証されたり、第三者が確認したりすることが科学ができるだけで、認識の始まりの上では事件の予言と大差ない。それではどこでこれらの結論ビジョンの先行を予言と区別したら良いのだろう。私達はデカルトを疑う必要がある。
次朗吉翁がどのようにして、地震を予知する想念に至ったのかはわからないが、彼は不思議なことに感を研ぎ澄ますと自由自在だったという。本人はビジョンの場所も時間も自由に選べたらしい。
普通の人々にも、何故か胸騒ぎがして気になっていても、結局当たらない未来ビジョンはよくあることではないだろうか?
自ら自分に設問して、有りそうな答えのリストから消去法で絞りこむ刑事のようなやり方は、まだ正しく設問ができていない。正しい設問が整った時には答えが見えるから、論理的にそれを書き写すだけでいい。論理的に読み下しができなければただの幻視で終わってしまう。
明鏡止水とは、心の準備。そういう修行ができるのなら是非教えてほしい。
「人のさとりをうる、水に月のやどるがごとし。月ぬれず、水やぶれず。ひろくおほきなるひかりにてあれど、尺寸の水にやどり、全月も彌天も、くさの露にもやどり、一滴の水にもやどる。さとりの人をやぶらざる事、月の水をうがたざるがごとし。人のさとりを礙せざること、滴露の天月を礙せざるがごとし。ふかきことはたかき分量なるべし。時節の長短は、大水小水を點し、天月の廣狹を辨取すべし。」道元禅師
後日、そんな本が出版されていることを知った。。。。
山田 次朗吉(やまだ じろきち、1863年10月23日(文久3年9月11日) - 1930年(昭和5 年)1月9日) 直心影流の使い手。感が強く関東大震災を発生の四年前に予知、明鏡止水の境地に達し、座して太平洋の波の音を聞いたり遠くにいる人の行動がわかるなどの逸話が『剣客商売』に紹介されている。 『剣客商売 第六巻 「新妻」品川お匙屋敷』池波正太郎
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