公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

非競争的な生活

2010-09-26 11:15:00 | 今読んでる本
「若いうちに非競争的な生活、コミュニティ、夢中になれるものを手に入れておく必要がある。それらのものが、仕事とは関係なく貢献と自己実現の場を与える。」

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非競争的な他人との生活は人生の原点

 これはとても大事だね。リーダーになる人間を教育するときには必ず必要な通過点だろうと思う。学寮なんかはこの典型的場所と思う。
 若い時に点のような個人の自我しか知らないと、相手の痛みがわからない、自己保存の最適化しか選択できないビジョンの狭い、他人を見下した人間になる。
 天才を見習って見たところで、しょうが無い。頼山陽はその典型

頼山陽、 極々若い時にこんな詩を詠める天才がいたんだね。相当な頭でっかちだったんだろうね、たぶん早くから死を意識していたのかもしれない。

 どんなに自己完結している天才でも、自分自身の限界と競り合う。究極の点として頂点を極めたいと思って居る天才が青史に業績を遺すかどうか疑問だ。

 大学の大先輩、内村鑑三が言い残した様に事業こそ世代を超えて遺されるべきものだろう。エリートを自認するなら代替がきくことを特性とする役人ではなく社会に新たな何かを付け加える事業を起こす人物をめざすべきだ。

 
                     頼 山陽(子供の頃)
十有三春秋
     (じゅうゆうさんしゅんじゅう) 
逝者已如水
     (ゆくものはすでにみずのごとし)
天地無始終
     (てんちしじゅうなく)
人生有生死
     (じんせいせいしあり)
安得類古人
     (いずくんぞえんこじんにるいして)
千載列青史
     (せんざいせいしにれっするを)

もう自分は十三歳になった。天地は始めも終わりも無いが、月日は水のように流れてとどまらず、人はたちまち生き、たちまち死んでいく。生きているうちに昔の優れた人に負けない仕事をして、永く歴史に名を残したいものだ。

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