公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

代替可能性は誰にもある

2010-09-27 07:39:55 | 日記
重要なのはカリスマ性ではない。リーダーシップとは人を惹きつけることではない。
ドラッカー


リーダーにも階層がある。というか出来てしまう。
明治の元勲と呼ばれた人々と当時の官僚とを比べれば官僚の方が優秀であっただろう。
しかし代替可能性は前者には無い。その様な構図は社会のどこにも生じうる。
これは歴史と時間経過が作り出す階層であり、リーダーシップとは何の関係も無い。組織や社会の要求が変化しているにもかかわらずリーダーの出口が準備されていないことによる不安定性は新興の勢力ほど避けられない。

代替可能性は政治家に限る話ではない。

要所は代替可能性の順位にある。

環境が変わると、代替可能性の順位も変わる。


ベンチャービジネスも不況が長引くと課題が変わる。急成長よりも生き残りが施策の中心となり、どちらかというと単なる中小企業のサバイバルと変わりない姿を示す。リーダーシップの求心力が今までとは違う構図、即ち確実性に取って代わってしまう。
リーダーの代替可能性がある事に気づかないと、会社を潰すこともある。だから出口(次の目標)を用意するということが必要となる。

さて日本の環境が今年大きく変わる。つまり中国が日本のGDPを抜く。中国は次の支配目標を拡大した中華同盟で考えている。この環境変化で世界のリーダーシップの順位が変わってくる。現時点ではなく将来の総合的国力が変われば発言の重みが変わってくる。


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