公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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永六輔の《黄昏のビギン》

2016-12-24 16:28:00 | 日本人

実は永六輔の黄昏のビギンは中村八大の詩だった(名義かし)ってこと高田文夫の本で知る。


黄昏のビギン』名曲と言い切っていいと思う。特にちあきなおみの声は永遠に残して欲しい楽曲。


雨に濡れてた たそがれの街
あなたと逢った 初めての夜**
**
ふたりだけの たそがれの街
並木の陰(かげ)の初めてのキス
初めてのキス


歌詞を書きすぎてバンされないようにこの辺にしておく。




「僕じゃないんです。でも八大さんが「君にしておくね」って言って。
八大さんとは早稲田大学の先輩後輩の関係でしょ。だからあの人には反対したりできないんです。
何か言われたら、全部「はい」って。
それで八大さんは、自分で作詞・作曲をしたから、あれが一番好きなの。
だから、「いい歌ですね」なんて言われて、いろいろな人が歌っているんですが、そばに行って「これは僕じゃないんです」って言わないと肩身が狭いというか。
 (永六輔著「大晩年老いも病いも笑い飛ばす!」中央公論新社)」


永六輔は人間国宝である豊竹山城少掾の浄瑠璃を見せられて当時は浄瑠璃そのものの良さが理解できず、正直に理解できないと言ったところ怒った安藤に君は日本人ではないと言われ、後日安藤からわざわざ中国語に翻訳させた永を叱る手紙が届いたという。
永六輔『明治からの伝言-若々しい老人たち-』169頁 永六輔とはその程度の男であったが、随分と勉強したのだろう。

安藤とは、
安藤鶴夫(あんどう つるお、1908年(明治41年)11月16日 - 1969年(昭和44年)9月9日)は、小説家(直木賞受賞)。落語、文楽、歌舞伎、新劇の評論家であり演芸プロデューサーでもあった。本名、花島鶴夫。









柔らかいビブラートとハスキーな低音、もっと歌って欲しかった。本当に残念。

 

坂本九も中村八大と永六輔このコンビには欠かせない歌手

なのだが、メロディも歌い方も坂本九オリジナルだ。

プレスリーの三連符発声に憧れていたと思われる。ビートも坂本九が変えた。

有名になった「上を向いて歩こう」1961年7月発表なのに何故か永六輔が国会議事堂で窒息死した樺美智子を思って書いたと伝説化されているが、俺は黒柳徹子にふられて書いた本人談の冗談めかしが正解と思っている。

 

 樺美智子は、東大文学部国史学科の学生でブント(共産主義者同盟)の一員であり、一月の岸首相訪米阻止羽田闘争の時にも逮捕されたことがある活動家であった。(彼女の死因は、胸と腹の圧迫による窒息死か、右手による扼死の可能性が高いと言われたが、東京地検は後日、窒息死と認定し、傷害致死の疑いはないと発表した。)

 


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