南原の一高時代は新渡戸稲造と内村鑑三の薫陶を受け 内村鑑三にいたっては直接の謦咳に触れた札幌農学校というキリスト者実験の後裔である。そのまた後裔には丸山真男がいる。その学者系列が戦後の日本人に求めた精神改革は吉田茂をして曲学阿世の徒と言わしめた理想主義だった。戦後流行した非現実的普遍&原理主義主張はここに始まる。
南原 繁(なんばら しげる、1889年〈明治22年〉9月5日 - 1974年〈昭和49年〉5月19日)は、日本の政治学者。東京大学名誉教授。東京帝国大学の総長を務めた。
終戦後わづかに七年、サンフランシスコ講和条約締結の前後から、わが国には早くも「情勢」の変化が説かれ、過去のすべては一場の悪夢に過ぎなかつたかの如き考へ方が行はれがちである。だが、事態は決して、さやうに安易なものではない。われわれの直面する問題は深く根源的なものであつて、これに対処する態度と方針は、もつと根本的・原理的でなければならない。それは、われわれの周辺に生起する個々の事件や、それに促された一時の政策によつて、決して変更さるべきものではないのである。この崩壊したわれわれの国民生活を回復し、さらにそれ以上に荒廃した国民精神を根柢から再建するには、おそらく世代と世紀を賭けての国民不屈の共同の事業であるであらう。この小著がその偉いなる事業への小さき寄与たり得るならば、著者の悦びこれに過ぐるものはない。 一九五三年二月 著 者
日本にとつて何が喫緊なといつて、新たに人類的普遍的基盤の確立のごときはないであらう。従来のやうな余りにも特殊的な文化理念に代へて、新たに人間性理想の追求に向つて、われわれの努力が集中されなければならぬ。日本国民はこれまで民族と国家の神聖を教へられて、個人人格の尊厳と不滅性を知らず、人間の精神的自由を拒否し来つた。わが民族がこの状態に留まる限り、私は断言する、日本が世界歴史に参画する日は遂に来ないであらう。 わが民族は新たな人間の発見と神の再発見をなすやうに迫られてゐる。この関係において、日本に精神のルネッサンスとリフォーメーションの必至にして、かつわが民族はそれを遂げ得る資質と能力ある所以を、私は一年前の今日、この処において述べたのであつた。それは実に日本有史以来の「精神革命」を意味する
チュチェ思想かと言われても仕方ないが、南原の視点は金日成より古い時代に形成されてた。
人間の主体性を取戻さねばならぬ。さもなくば、人類の更に大量の物体化、遂に破滅すらをも考へ得られるのは、ひとり戦争においてのみのことではない。いま人類はこの革命を前に、自滅か復興か、二者いづれを択ぶかの岐路に立つてゐる。この革命は人間の名において、人格の名において行はれねばならぬ。人間人格の価値を回復して、これを国家や権力と同じく偶像化した技術や生産の上に優位せしめなければならぬ。
『人間革命』所収