公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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別所は敗者の草庵 今読ん 無用者の系譜

2020-10-18 18:51:00 | 今読んでる本
無用者の系譜
 
『山を下って別所に隠遁するというときの別所は、本山を離れたところにある草庵であった。この別所の起原は、正暦年間(九九〇年頃)に起きた叡山の慈覚大師と智証大師の派閥争いの結果、智証派の千人を追放した事件に由来し、この派は山を下りて別所に拠ったという。そしてこの別所が聖を多く生んだわけである。隠遁の聖は、このようにして出てきたわけだが、さきに書いた明秀の籠居した黒谷の別所からやがて法然が出てくることになる。別所は次第に庶民に近づき、庶民的になり、凡愚としてみずからを自覚し、凡愚の往生の問題が中心になってきたのである。』
 
室町時代の南朝も別所に追い込まれた。別所が新仏教の揺籃になったというのは面白い歴史。仏教の中に潜んでいた正義原理主義は法華経を中心教義とする日蓮を産んだが、大衆は念仏する表象を選び決して正義を選ばない。ただこの世に怨念執着を残さず、怨霊さえも綺麗に消えてもらう手続きを選ぶ。結果手続きという宗教しか日本には残らない。西欧ほどに死は恐れていないが子孫の安堵を我こと以上に先祖に願う祖先信仰の根強さはあらゆる正義原理主義を「えんがちょ虚無主義」で跳ね返してきた。万能表現の「かわいい」も、えんがちょ虚無の一種であろう。多様な意味を込めて「かわいい」が内容を拒絶して流通している。
 
同じく唐木順三の『無常』の序には
㈠ 序  「あはれ」という言葉が『源氏物語』に千と四十いくつあると数えた好事家もいるが、「はかなし」という言葉、またその類語も、王朝の女流文芸作品に実に多く使われている。「あはれ」の意味は本居宣長、その他の学者によって、ほぼ限定されているが、「はかなし」の方はさらに多義の上に、限定しにくい。むしろその言葉自身が限定されるのを拒否し、嫌っているようにみえる
とある。
 
なぜ多義であり得るのか、日本人が敢えてこの言葉の意味を無定見で放置させているというところに唐木順三の立論がある。これは近代哲学で重視されていないが日本人の大いなる知恵、正義原理主義を跳ね返すニヒリズムであるというのが私のこの頃の考えです。日本人の精神の中で「はかなし」以外のものは全て倫理的に無価値です。大江健三郎は『あいまいな日本の私』の中で閉じた回路の日本人というエッセイを書いているが、夏目にしても川端にしても(そのノーベル賞受賞講演「美しい日本の私」に典型的にみえる)日本人に対して向けたモノローグが回路として言語が閉じているという指摘をあいまいな日本の私』の中でしている。この唐木順三の『無常』の「はかなし」の乱用の発見も、大江の指摘した閉じた言語をもつ日本人の特長と類型化できないだろうか。
 
私は大江の日本人の自己変革とは反対に「はかなし」以外のもの』でできている西欧人に対しては、あいまいで無定見な言葉を操ることは高度すぎる、次元の違いすぎる言語文化であると考える。これを正義原理主義の世界に敷衍するのは困難と見ている。
 
日本人においては『「はかなし」以外のもの』、はかなさに知って抗うものは全てあさましく、神は別格だが、人間、人の世の中で仮に神の如くその歴史的正義が理屈としても事績としても永続し、膾炙されたとしても、それは怨霊として類害を恐れ祭り恐懼する他に日本人の側に正義原理の倫理的な内在化はない。例外的に日本人にとって皇統もまた『「はかなし」以外のもの』として万世一系である。故にその類いの永続価値、生きた倫理(人倫の極み)が天皇であるのです。
 
戦争や権力の横暴による絶対的被害者が居なければ、正義を語りえない、いわゆる知識人層の日本人は日本の生贄を願う生(いき)霊と呼んで良いでしょう。

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