今読んでいるのはクロード・レヴィ=ストロースによるサルトル批判の章である。サルトルは「理性的分析」では學問が成立せず、これを乗り越えるのが「弁証法的分析」であると定立する一方で、時に「理性的分析」が「弁証法的分析」を補うという矛盾を指摘されている。私が思うに、これは矛盾ではなく、ある立場を選択することによって、理性的分析は弁証法的分析をするために、現実肯定的に分析するという方弁のことをサルトルは言っているのだろうと思う。ある立場を選択すること無しに現実は否定出来ない。しかし、歴史を動かす意志がないままに、現実の構造を理性的分析すると現実は完璧に永遠の先に向かって静止しているように見える。サルトルの論理建ては一貫して方弁と未来が与えられた時の逆算を弁証法的分析と読んでいるに過ぎない。「未来が与えられた」と考えるのが20世紀の人間の最先端の思考方法だった。これが方向性を誤らせている根源である。未来も自由も人類には与えられていない。石油が無限成長のエネルギーと信じて思いあがっていただけである。科学技術が不便なことなら何でも解決すると思いあがっていただけである。21世紀も石油エネルギーと科学技術と縁を切ったわけではないが、人類は成長よりも生存を前提に置き、必ずしも一つではない未来の答えを発見創造する道しか残されていない。
最新の画像[もっと見る]