「うそつき 夫・野坂昭如との53年」野坂暘子
暘子夫人の文章に挿入された野坂昭如テイストが相互に浸透して霊気が漂う気がする。
野坂昭如は戦後の作家にしては稀代の語彙力で美文だったが、私は彼の書くものもユーモアも彼自身の中の何かを隠蔽する一流の煙幕ように感じていた。永六輔らと競い合う放送作家であったり、歌手であったり、私には彼の酒の力による明るさが不思議で興味深い人だった。
最後は沖縄を小説にしたかったのだろうけど、沖縄は書けない重さだった。今も煙幕は晴れない。
野坂昭如は人一倍戦争を憎んでいた。
そのわけは、
歴史事実とか社会背景と関わりなく、彼にとって戦争は人間を裸の欲望の獣にする飢えの原因であった。殺し合いより残酷なことは、獣の自分を暴露されることである。裸の欲望を隠せない自分とそうでない世間との間くらい残酷な溝はない。ましてや野坂昭如は少年だった。のちに節子という名前で作品にした四つの妹として描いた神戸弁は捨てがたい野坂昭如のルーツでありながら、感謝しながら生きるために捨てた神戸であり、やはり捨てられないものだった。
餓鬼道は単なる貧さではないことが思い出の端端に出てる。食べたものを牛のように反芻して食い物がない不安をしのぐ少年の切実な思い出で少しはわかる。その浮つきのない絶望と肉親にも言えない孤独は世間の想像を絶している。
しかも野坂昭如は家族の本当のことを知っていたのに空襲の日まで知らないふりをする、しかし与えられた幸せな子供時代を通じて世間にうしろめたく、大人子供だったのは世間に棲むための適応を早くから身につけた処世習性だけに、餓鬼の道は辛かっただろうと思う。