個人的には事業は勝負ではなく創造の営み 事例研究29 セコム 飯田 亮である。勝負をかけることはあっても、全てを失う勝負は事業家のやることではない。是川銀蔵などの相場師のやり方である。ただし事業の節目というものが自然に生まれくる。巳年は変化の年🐍のように脱皮することで永遠に生きるそういうめぐり年である。
2025年
2013年
2001年
1989年
1977年
振り返ると変化は翌年にはっきり結果となって後戻りできない節目をつくっている。
久しぶりの事例研究
徒手空拳の時代性を帯びた事例 孫正義
『19歳の時に事業家になることを決意した孫正義氏は、人生50年計画を企てます。「20代で名乗りを上げ、30代で軍資金を最低1000億円貯め、40代でひと勝負かける。50代で完成させ、60代で継承させる」というものでした。その計画を実施するには、まず開業のための資金が必要です。発明で儲けようと考えた孫氏は、1日ひとつ、1年間発明し続けることを自分に課しました。結果、考案された「音声機能付き多言語翻訳機」は、有名大学教授の協力のもとシャープへの売り込みに成功し、約1億円を手にすることとなります。
この資金を元手に1979年、アメリカでソフトウェア開発会社「Unison World」を設立しました。1980年に大学を卒業した孫氏は福岡へ戻り、1年半悩みぬいた結果、その頃の日本にはまだなかったパソコンソフトの卸事業を始めるため、「ソフトバンク」の前身となる「ユニソン・ワールド」を、今度は日本で起業します。』
この資金を元手に1979年、アメリカでソフトウェア開発会社「Unison World」を設立しました。1980年に大学を卒業した孫氏は福岡へ戻り、1年半悩みぬいた結果、その頃の日本にはまだなかったパソコンソフトの卸事業を始めるため、「ソフトバンク」の前身となる「ユニソン・ワールド」を、今度は日本で起業します。』