パクスブリタニカ
1815年のナポレオン戦争終結から1914年の第一次世界大戦勃発まで、イギリスは世界的な覇権国(最も影響力のある主体)の役割を果たした。
銀相場1900年代
銀本位から金本位への切り替えをちょうど銀相場が明治維新頃の半値に落ちたことは、日本の輸出競争力にとって大いなる機会到来だった。しかし松方正義(まつかた まさよし、天保6年2月25日(1835年3月23日) - 大正13年(1924年)7月2日)は金本位に拘泥した。それはパクスブリタニカに加わることが一流国(イングランド銀行の支配下の国有銀行)の条件であったからに他ならない。
日本は明治の初めから昼間は独立自尊ではなく外国依存の背広を着、夜だけつまり自国民にむけてのみ独立国だったのだ。42歳の壮年を迎えた和喜次こと高橋是清は恩人森有礼を8年前にこの世では会えなくなっていた。明治三十年2億円の財政資金が既に不足していた日本国はいいカモだった(2億円は現在の価値にして3200億円だそうだ、GDPも現在の20分の1の時代の3200億円はとんでもない財政不足。思いのほか清国から賠償金をとることができなかった3億テールが2億テールに減額)。明治政府は当初から銀ではなくポンドあるいは金で受け取ろうとしていたが清国が拒絶したと記録される。
渋沢栄一や安田善次郎は金本位移行に反対だった。貿易上の優位と東洋の銀使用はずっと歴史があった
杉山茂丸のような国士が伊藤博文のような国賊を殺そうと突如訪問するのも無理はないのだ。