はい、隅田川が凍った記録は近世以降になります。隅田川は東京都内を流れる川であり、冬季になると気温が下がることで凍結することがあります。
江戸時代(17世紀から19世紀)には、隅田川の凍結が頻繁に記録されています。特に寛永年間(1624年から1644年)や享保年間(1716年から1736年)には、隅田川が厚く凍結し、人々が氷上を歩いたり、イベントや祭りが開催されたりすることもありました。
しかし、近代以降の工業化や都市化の進展により、隅田川の凍結は希少となりました。現代では、都心部の温暖化や河川の管理などの要因により、隅田川の凍結はほとんど見られなくなりました。
▶️「天は我に何をさせんとしているのか」
<顕><冥>の法則によれば、冥は必ず日本の情を千年飛び越えて揺り戻す。今夜はその序曲と幕開け。
本日秋葉原で日本保守党が街頭宣伝をしている。命をかける識者がやっと現れた。それをネットでリアルタイムで見ることもでき嬉しくもあるが、悲しくて実況同時接続を消してしまった。それは、すでに滅びることを見てしまったからである。顕あれば冥あり。これは万物に通じる法則である。日本保守党は中庸を捨てなければ、日本保守すなわち普通の日本人は生き残ることはできない。日本保守党の今は自民党の失政、日本の破壊によって求心力を増加させている段階である。敵冥のおかげで援顕であるだけ。これが成長を続けるには自ら冥を定めて戦わなければならない。それは彼らの考える保守のイメージである中庸を徹することによってはできないことである。
保守とは通常である事だが、通常には非道を避けるという意識が隠されておる。非道の冥を知悉していなければ保守党などと名乗ることさえもおこがましい。
例えば原発の再稼働というある種の非道、冥の実施である。大衆に嫌われることを言わない好かれたくて流れてゆくポピュリズムが中庸の悪い例である。その実例の最たるものが残念ながら地域政党『減税日本』なのだということを理解していない向きが日本保守党の幹部にある。
https://youtube.com/shorts/thHHyaO9NFk?si=8CcvSXXAcj7fEUm4
残念すぎるので気分転換に隆慶一郎.
「吉原御免状」は名作であるが読んだことが無かった。居島一平の若き日(高校二年生には刺激が強すぎると思うが修学旅行どころじゃなかったろうに)の逸話から知って読んでみた。これは大衆小説の域を超えた教養書である。気分を変えてそこから引用してみよう。
隆慶一郎. 吉原御免状より引用
「それがどんな場所であろうと、行先がないよりはましだろう。この道の先に、どんな波乱が自分をのみこもうとしているのか。誠一郎は疼くような心でそれを待っている。
(天は我に何をさせんとしているのか)虚空に向って、大声で喚き問いかけたい。そんな熱い思いが、昂まってくるのを、誠一郎は感じていた。
「滅びしかない」水野がポツンといった。「滅び?」「そうだ。俺たちに出来るのはそれしかない。人を滅し、家を滅し、我が身を滅ぼす。それだけだ。
こんなうす汚ない世の中に、糞尿に塗れながら生き永らえるなど、真平御免だ。定刻にお城に登り、定刻にお城をさがる。商人のように算盤をはじき、お上にへつらい目下の者をおどし……それがたかが栄達と金のためだ。うす汚ない!それが武士のすることか!いや、武士とはいわぬ。人間たる者にそんな下劣な真似が出来るか。生きるってのは、もっと素晴しいことの筈だ。思うだけで溜息が出、血が騒ぐほど、素晴しいことなんだ。それが……それがこんなものだというんなら、いつでも棄ててやる。いつでも死んでやる!」火を吐くような水野の言葉を、誠一郎は深い共感をもって聴いた。身内にふつふつと滾るものがある。何へとはない焦燥をまぎらすために、仰向けに寝ころんだ。降るような星空である。(天は我をどこに導こうとしているのか)誠一郎はもう一度胸の中で呻いた。」
隆慶一郎. 吉原御免状(新潮文庫) (Japanese Edition) (pp.110-111). Kindle 版. より
「太夫。あの子が屋根の上で何をしていたと思う?」高尾は童女がいやいやをするように首を横にふった。「あの子はな、太夫、屋根に寝そべって、人生を論じていたよ。人の世とは何であるか。人はいかに生くべきであるか。水野殿と二人で、それはもう夢中になって話しこんでいたよ。二人とも、自分が今どこにいるか、まるで忘れてしまっている……」幻斎の声は楽しそうだった。高尾がその幻斎の顔を凝視している。「わしはな、引きずってでもあの子をつれ戻す気でいったのだが……到頭ひとことも声をかけることが出来なかった。なんの腹のたしにもならぬことを……決して答えの出る筈もないことを、生命がけで論じあう……馬鹿なことだと人はいうかもしれぬ。だが、それが若者じゃないか。若者だけの持つ特権じゃないか。わしはな、太夫、わしは羨しかった。羨しくて羨しくてしようがなかった……」ふっと幻斎の声が湿り、詰まった。自分たちの喪くしてしまったものへの思いが、強烈に胸を絞めあげているのである。逆に、高尾の涙はいつか乾いていた。
隆慶一郎. 吉原御免状(新潮文庫) (Japanese Edition) (pp.114-115). Kindle 版.
西田屋二代目の庄司甚之丞は奇妙な男だった。もともと小肥りで愛想のいい人物だが、一日内所に坐りっぱなしで、『撫牛』という金で作った小牛を蒲団の上に安置し、これを、常時左手で撫でさすりながら、店の仕事をさばいている。牛を撫でるのは、客を招く呪いだという。隆慶一郎. 吉原御免状(新潮文庫)
金で作った「撫で牛」までこの小説に散りばめるとは隆慶一郎は物凄く深いメッセージを読者に暗号化して記している。公界と無縁の徒あるいは傀儡子あるいは山窩の一つの起源を示唆している。
▶️日本人は時々草莽崛起しては《一点に収縮した世間がはじけ飛んで元の無数の世間に戻る》日本人の歴史的性質を知っていれば、日本人の未来は予見制御できる。
▶️自立しない日本の将来には中共独裁を選ぶか国際金融独裁を選ぶか二つに一つしかない。
以下は今から4年前の予言的投稿である 日本の国民国家幻想のモラトリアムはあと6年ほどで終わる。つまり2029年頃国家は否応なしに選択を迫られる。4年前の投稿で佐竹に準えて「国がえ」とここで曖昧に述べているのは、天皇及び皇統のことである。昨日の額賀福志郎の不敬行為からはっきりと中共から廃皇統指令が出ていたことを確認した。
以下旧投稿引用
マキャベリズムには有名な箴言『断言してもよいが、中立に保つことは、あまり有効な選択ではないと思う。』
がある。
日本の将来には中共独裁を選ぶか国際金融独裁を選ぶか二つに一つしかない。中立ぶっていられるのも米軍基地と空母打撃群が有効という神話が一戦交えて崩壊するまでの寿命。どっちにせよ奴隷の中の上中下を争うだけのこと。あと10年ほどだろう。
日本政府は世界の覇権を争う決戦、関ケ原の前日の状況が継続しているという世界認識を持たねばならない。だから戦国期終盤の佐竹のように迷ってはいけない。長期的には日本がまるごと国替えにならぬとも言い切れない。中共独裁が勝利したら山紫水明な国土は奪われウイグルに強制移住だろう。
『<顕><冥>の法則によれば、冥は必ず日本の情を千年飛び越えて揺り戻す。しかし日本には未だ世間には<冥>がかけている。だから命を賭ける思いは識者当事者にもない。草莽崛起に必要な金も名誉も命もいらぬ人間はきっと冥の導きに強い感受性をもつ素直な心の人物なのだろう。』とだいぶ前に書いたが、対韓国に関して冥の導きにエネルギーが注がれていると思う。対中共についてはまだ日本に裏切りが出てきそうだ。時々草莽崛起しては《一点に収縮した世間がはじけ飛んで元の無数の世間に戻る》日本人の性質を知っていれば、日本人の未来は制御できる。