大塚英子を口説いた、安部公房、奥野健男、川上宗薫、北原武夫、黒岩重吾、五味康祐、亀倉雄策、黛敏郎のなかで良く知らないのが 北原武夫と亀倉雄策(1964オリンピックのポスターのデザイン)だ。勿体無い。こんなに作品があるのに世代の開きか読んだことがない。
そこで手に入れたのが昭和33年の作品『告白的女性論』講談社の一刷りである。奥付けに北原の検印のある古めかしく灼けた本である。純文学で挫折、通俗的な心理小説で人気を博したというのが北原武夫の評価らしい。しかし通俗でない文学はもはや文学ではなく、学の文である。北原武夫は66歳で死んでいる。
昭和の前半30年代後半で、純文学などというものの探究は終わっている。ただカテゴリーがありだけであり、なぜ先人がそういうものを目指したのかという歴史がわからないと本が存在することさえ無意味になる。今は新人賞を出す雑誌掲載作品の枠内ならば純文学と言われているのかもしれないが、商業的成功の方が文筆活動よりも重要になった。戦後のある時期まで日本人には、リアル活写を私的フィルターを通してのみ文筆家の資格があるという価値観があった。
しかし昭和52年から全くそういう先人の努力を顧みない作品『僕って何』が登場した。時代を茶化すことがアイデンティティとなる風潮を文字に濃縮したこの作品が評価された。私的フィルターという形式は踏襲しているが、対決信念というものが一つもない相対化と事象の記号化が始まってから、雪崩を打って日本的文学の文化は消滅した。
文学産業はせいぜい本を持つファッション、話題を先行させモノ販売するメディアの玩具に成り果てた。かろうじてテレビショッピングに新刊が露出しないあたり、そこまで落ちた。
高橋さんは大林宣彦監督の遺作となった映画「海辺の映画館―キネマの玉手箱」(2020年公開)に爺・ファンタ役で出演。中江は爺・ファンタの娘で新聞記者の奈美子役を演じていた。
映画の公式ツイッターの「高橋幸宏さんのご訃報に接し 謹んでご冥福をお祈り申し上げます」というツイッターをリツイートする形で、中江は「2018年夏の尾道で、高橋幸宏さんとご一緒した日々を思い出しています。西日本豪雨と猛暑、大林監督は闘病中。それでも進行していく現場は奇跡のようでした」と回顧。「幸宏さん演じる『爺・ファンタ』の娘になれて幸せでした。ありがとうございました」と高橋さんへの感謝をつづった。