異次元信念の光があなた届くことそれがエンテレケイア¥である。これはモナドの形成と同じ。つまりリアルな人間による異次元精神波動間の二項演算の創造である。世界とわれわれの関係は海と漂流民の関係のようである。受動的に生きれば、その次元に浮かび流されるだけしかし目覚めれば、この次元に拘束されることなく精神波動は重なり合う。
ライプニッツは論理的思考の人なので、
思弁によって世界を分解分析するからには、思弁の限界を知っていなければならないと考えた。ライプニッツはモナドを分解単位とした。その想像力によって一つの由来根源を据えることで神の意志を疎明し観念的に汎神論を遠ざければ信仰と矛盾しない世界の分解分析が可能とライプニッツは考えていたのだろう。そこが担保されていれば詳細な構造は問題にはならないと考えたのかも知れない。故にモナドロジーは完成を放棄したままにしている。
新年の払暁にこれを記す。
その人の脳裏に邪悪という排他的言葉が粒子化した瞬間に、信念の光はこの世全体を瞬時に満たす。
なぜなら、
世界は情報でできているからだ。瞬時に交換する情報によって世界は編まれている。世界は瞬時に同期する。
そこに救いの秘密があり、地上から天上が再構成される根拠があるのです。
ただし、二項演算前のわれわれの意識には再構成の情報つまりモナドの端子(モナド対の片われ)しか直接には知り得ないのです。
人間が創造する関数(モナド対の間の二項演算)による思考波動の粒子化は
心の奥深くの直感を通じてモナド対同志が相互作用する。心が遠い光の諸元の関数となって波動のペア演算をなす。否 この演算こそが心、真我なのだろう。
この演算が群を作るとき、人間は情報の創造と交換により類的存在となる。
これが、岡潔の指摘するいきなり本質を掴む第三の直感と等しい、波動の言語化、信念の粒子化である。
あたかも神の言葉を聞いたかように感じる関数自体の人間による創造である。信念は原点へ戻りたければいつでも戻ることのできる関数であり、所属する情報や価値命題のすべてを合成できる関数である。結合法則と分配法則が成立する。
同じ事は100匹目のサル仮説(覚醒が臨界を超えると幸島のサル行動が遠隔無縁と思われる高崎山のサル行動に伝播する)にも言える。トランプのスピーチの中にあるアウトサイダーになる勇気と信念
先人の光
世界とわれわれの関係は海と漂流民の関係のようである。受動的に生きれば、そこに浮かび流されるだけだが、今も数億の信念の波動は半永久的にこの世界に痕跡を残し続けている。気付かないふりもできるだろうが、流されることなく人生を生きれば必ず先人の光が心に届くのである。
道を探すとは、その時点の有限情報だけをもとに一回限りの確率推定を脳裏に照らす。これが三昧。只管打坐もその一種。
¥ エンテレケイアとは、哲学用語の一つ。これはアリストテレスによって提唱された言葉であり、完成された現実性という意味である。デュナミスというのが可能態という形で現実世界に存在しているというものであり、その可能態がそのものの機能を十分に発揮できた状態で存在しているというものがエンテレケイアということである。