公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

「『世間』とは何か 」3

2015-02-24 07:45:09 | 今読んでる本
今、石井妙子の「おそめ」を読んでいるが、面白い。石井妙子自身初めてのノンフィクションということも、未知の世界ということも著者自身が冒険する疾走感がある。そのうち感想を書いてみようと思う。
おそめこと上羽秀は、花街のレジェンド、「夜の蝶」のモデルである。おそめの選んだ世間は、まず東京だった。生き方も、東京だった。詳しくは稿をあらためるが、上羽秀(おそめ)の場合、自ら選んだ世間と現実の幸福と花街の中で強く勧められる世間の幸福とのミスマッチということが、彼女の人生を大きく変えた。

おそめのように15歳前後に初めて見た世間というものは、強い価値観となって、おそらく一生ついて廻るものである。

個人的体験だが、私が中学1年のある日、叔父が父のところに(いずれも故人)結婚を考えている女性を連れてきた。わたしは「へーそうなのか」と思った。なぜなら父の意見をきいて叔父は結婚を見送ったからだ。世間とは自分の意志を通せない、そういうものかという衝撃を受け、また嫌悪した。その頃父といえば、港町のどこの店やらなにやら分からないが、末広町あたりで飲んで夜中に帰ってくることも多かった。私はそういう大人を見ると不思議な世界に棲んでいる別の生物を見ているような気がしていた。大怪我して帰ってくると、タクシーに衝突したとか、嘘としか思えないような、それなら死んでも不思議じゃないアクション話を怪我の言い訳にしていた。家族にさえ嘘で固めた世間体が当たり前の父だった。そんな親父も今は鬼籍の人だ。

私は、酒に弱いこともあるが、酒を飲むということにいまだに嫌悪と気後れを感じるのは、酒を飲んで、赤裸々な世間を露出(普段は言わないことを教えてあげるかのように態度が大きくなる)、辻褄を合わせている大人の世間に嫌悪を感じていたのかもしれない。

人間は理性的に律していても、それは人間の表向きだけで、露呈する世間という内心の辻褄、たとえば親戚という世間が気に入らない嫁は貰いたくなかった叔父の本心などは、どこかで誰もが抱えている病のようなものだ。
15歳前後に刷り込まれた地縁血縁、上下関係や貴賎、家風、仕事の縁はどこかで世間の義理という形で理性の外から蘇ってくる。それが日本人の持っている心の始原的メカニズムだ。

阿部謹也は、永井荷風や金子光晴を観察して、世間を拒否して生きた永井荷風の観察力をこのように書いている。
断腸亭日乗の昭和十六年六月十五日の記載に対して。
『この時代を知る者にとっては驚くべきこうした洞察力は、これまで見てきたような荷風の「世間」を拒否する姿勢の中から生まれてきたものであった。』
断腸亭日乗には次のように記載されている。
元来日本人には理想なく強きものに従ひ其日其日を気楽に送ることを第一となすなり。今回の政治革新も戊辰の革命も一般の人民にとりては何らの差別もなし。欧羅巴の天地に戦争やむ暁には日本の社会状態もまた変転すべし。今日は将来を予言すべき時にあらず。
日本人の本当の庶民はこのようにして変わらぬ世間を継承してきたと思う。永井荷風は世間を拒否し非情に生きたから日本人を観ることができた。というのが阿部謹也の意見だ。

この本はあまりに突然に終わる。

阿部謹也は<あとがき>にかいているように、「私達の一人一人が自分が属している世間を明確に自覚しうるための素材を提供しようとしたに過ぎない。」と述べているように、まとめられていない。むしろこちら側に投げつけられている。

世間を対象化する努力をしなければ、日本人全体をとらえたことになならないし、この先も絶望的なくらい日本人はそのことに関心がない。

金子光晴のいう私の「寂しさ」はあまりに重層した世間の上に立っていることの孤独感である。入り口を一度見失うと家族さえ理解できなくなる。
ただそれは、己を空洞化して世間に没入することさえできれば味わう必要のない寂しさなのかもしれない

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「『世間』とは何か」2 | トップ |  »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。