1915年日本は欧米世界の帝国の常識を学びすぎていたのかもしれない。1915年対支21個目要求前の状態に戻ったとしても結局やはり戦争だったかも知れない。
1912年タイタニック号事件、1915年ルシタニア号事件によって帝国主義は不道徳と陰謀に手を染めていた。
当事者の意識を分解して公約数を求めれば、1915年対支21項目要求前の状態に戻る、日本は当時の常識である帝国主義を放棄すべきだった。事実、犬養毅首相は外務省を通さない交渉で満洲国を国民党政府の領地として認めた上で、自治政府としての満州国の運営を目指していた。少なくとも1922年昭和七年の5月15日まではその可能性があった。できれば単独での交渉ではなく、英国を同席させるくらいの工夫があって良かったのだろうが、アングロ・アメリカは狙いを太平洋の覇権に定めていたので効果があったかどうか、結局やはり戦争だったかも知れない。