公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

選挙を経ない特権者の誕生 実質上の高級外交官としての秋篠宮活動(報告なし、罷免なし、責任なし、利用され放題)

2022-08-03 09:39:44 | 皇室関連

いよいよ怪しくなってきた皇室と政治行政の分離。領事任命は外務大臣の申し出による内閣決裁(総理大臣または内閣官房長官との協議)であり選挙を経た代表者による決裁事項である。これに皇室家族関係の事情に過ぎない問題を解決するために、皇室の一員が政治人事に手を汚して仕事をするというのは、選挙を経ない特別権限(特権)者の誕生になる。不満を記者会見で吐露するのは皇族良心の問題、その内容に問題はあっても人間として発言は自由。しかしこれは由々しき民主主義の破壊、憲法問題。親バカも余り過ぎたるは犯罪であるぞよ、皇嗣殿下。栄誉ビジネスに味をしめたと思われても仕方ないだろう。


テーミスWeb版による


1月号で報じた小室圭氏の「ウィスコンシン州ロースクールへの再入学→無試験で弁護士」計画はネット上を中心に大きな反響を呼んでいる。ウィスコンシン州はロースクールが少なく、卒業生自体が少ないため、州内の大学のロースクールを卒業すれば「卒業証書特権」が付与され、無試験で弁護士資格を得ることができる。そのため、皇室に関わる内閣府職員や宮内庁に出向中の外務省職員によって構成された政府の〝極秘チーム〟が、この制度を利用し小室氏に弁護士資格を取得させようと動き出したというのである。


この工作を完遂するために領事を特別な外交官に交代(森美樹夫総領事?平成16年8月東アフリカ二課長 平成25年7月から在ケニア CF 平成19年8月13日(月)~ 平成19年8月25日(土)マダガスカルご旅行(眞子内親王殿下ご同伴)「秋篠宮さまは、2007年に眞子さんを伴ってマダガスカルを旅行されたり、2012年にウガンダを訪問されたりと、幾度かアフリカ地域に足を運ばれています。森氏とは、公務に関連して顔を合わせ、面識があるようです」外務省職員談)させている。


2021年10月秋篠宮の外交官としての動きは以下の通り見事である(見事とは、英皇太子殿下並みの《報告なし、罷免なし、責任なし》であると言うこと。誉めていないよ、親バカに限らず英皇太子のような増長があれば国賊一歩手前です。)


田岡功 1943年徳山県三好郡生まれ。14歳のときに、パラグアイのラパス移住地へ入植。農業へ従事する傍ら、ラパス農業協同組合組合長、パラグアイ日系農業協同組合中央会会長、パラグアイ国農業協同組合連盟監事および理事などを歴任。87年にはパラグアイ国家功労賞勲三等を叙勲。1992―96年、2002-03年にかけて、ラパス市の市長を務める。2004年、日本生まれの海外移住者で初めて駐日大使として就任し、2009年10月まで務める


2006年11月4日付けNikkei Shinbun

 【アスンシオン】一日にパラグアイ国の首都アスンシオンに空路到着され、日系人の熱烈な歓迎を受けた秋篠宮さまは、同日夜七時半に大統領府を表敬訪問して歓談され、続いて国賓として大統領主催歓迎晩餐会に出席された。
 パラグアイ川沿いに建てられた壮麗な白亜の殿堂、大統領府の前には日の丸とパラグアイ国旗が整然と飾り付けられ、正面玄関両脇にも長さ十メートルほどの垂れ幕状になった両国旗。前庭には一時間も前から儀丈兵が整列し、今か今かと待っていた。
 午後七時半ちょうど、殿下をのせた特別車が到着し、ニカルノ・ドゥアルテ・フルートス大統領とルイス・アルベルト・カスティグリオーニ・ソリア副大統領、ルベン・ダリオ・ラミレス・レスカ外務大臣はじめ、金沢ホセ三軍司令官、田岡功パラグアイ在京大使らが玄関前で粛々と出迎えた。
 両国国歌が演奏されたあと、訪パ団と大統領一行がお互いに握手を交わした。
 秋篠宮さまたちはすぐに大統領執務室に移動され、二十分あまりご歓談。大統領は日本や日系人によるパラグアイ発展への貢献をたたえる気持ちを伝えた。
 その後、政府要人や日系社会代表ら約二十人で晩餐会となった。現地紙記者やカメラマンも十数人詰めかけ、熱心に取材合戦を繰り広げた。
 翌二日付けの現地紙、最大手三紙「ABC」「ULTIMA HORA」「LA NACION」はそろって、秋篠宮さまのパラグアイ訪問を一面トップ写真付きで大きく報道し、現地からの関心の高さをうかがわせた。


大耳小耳(ニッケイ新聞)
秋篠宮さまは十月十六日にわざわざ、東京のパラグアイ大使館をご訪問になり、田岡功パ国大使から事前説明をお受けになっていた。そのときの様子を、「殿下は川魚を研究されているだけあって、とくにスルビ(なまず)に興味を示されました。魚類に関しては私より詳しいので驚きました」と振り返る。「お出ししたマテ茶もお代わりされ、日本移民の話にも耳を傾けられました」という。その経緯もあってか、来パ初日の大統領主催晩餐会には「スルビとエビのマヨネーズ和え」が出されたとか。


パラグアイ共和国のマリオ・アブド大統領は、国家功労勲章のグランドマスターとして、秋篠宮皇嗣殿下と眞子内親王殿下にパラグアイ国家功労勲章特別大十字型章(グランド クルス エクストラオルディナリア)を授与することを決定しました。

秋篠宮さまのパラグアイご訪問15周年と、眞子さまのご訪問5周年を記念して日本人移住85周年の本年に授与されることになりました。

授与式は2021年10月5日に赤坂東邸で開催され、ラウル・フロレンティン駐日パラグアイ大使から秋篠宮皇嗣殿下及び眞子内親王殿下にそれぞれ贈進されました。

Condecoración de Su Alteza Imperial el Príncipe Heredero AKISHINO de Japón y de Su Alteza Imperial Princesa MAKO

秋篠宮皇嗣殿下、眞子内親王殿下と駐日パラグアイラウル・フロレンティン大使

秋篠宮さまは、2006年11月1日から4日まで、日本人移住70周年を記念して我が国をご訪問され、眞子様は2016年9月7日から14日まで、日本人移住80周年を記念して我が国をご訪問されました。お二人は、パラグアイ政府関係者や市民代表者と面会を行い、充実した日程をこなされました。日本の皇室はパラグアイとこれまで常に非常に友好的な関係にあります。当時の皇太子同妃両殿下(現上皇上皇后両陛下)の1978年のご訪問、常陸宮同妃両殿下の1986年のご訪問や高円宮憲仁親王妃久子殿下のご訪問など、多くの皇室の方々がパラグアイをご訪問されています。1987年2月20日、当時の駐日パラグアイ大使であったフアン・カルロス・フラセ・バルゲン大使が、日本とパラグアイの関係を深めることに貢献された常陸宮同妃両殿下に、勲章を贈進いたしました。どちらの場合も授与された勲章は、1956年の法律第394号の第22条によって定められたグランド クルス エクストラオルデイナリアの国家功労勲章です。

秋篠宮さまと眞子さまは、とくにパラグアイとの関係増進に貢献され、我が国の様々な公式記念イベントに参加されました。また、秋篠宮さまはじめ宮家の皆様は、日本を訪れるパラグアイのアスンシオン市にある日本パラグアイ学院の学生達とお会いになられています。皇室の方々のご訪問が日本とパラグアイの良好な関係をさらに強化することに貢献したように、在京パラグアイ大使館が主催するイベントへ参加いただいたことも、日本での我が国の名を広める事に大きく貢献しました。パラグアイにおいて日本の皇室の人気は非常に高く、国民によって広く敬愛されており、皇室との友好関係は、我が国にとって貴重なものです。

日本の皇室の方々のパラグアイへの公式ご訪問は、パラグアイと日本の友情を強化し、それによって両国の人々の間のより深い理解を促進することに貢献しました。パラグアイと日本との関係は1919年11月17日までさかのぼり、地理的に非常に離れているにもかかわらず、関係は友好的です。

2年前、この100年に亘る両国の友情を記念して、パラグアイと日本でさまざまな記念イベントが開催され、パラグアイ政府及び在パラグアイ日本国大使館が行った「外交関係樹立100周年記念」ロゴマーク募集では,日本人のデザイナーである佐藤泰氏作成のロゴマークが選出され、当時の安倍晋三首相のパラグアイ公式訪問中に発表されました。

1936年に始まった日本人のパラグアイへの移住は、私たちの友情の構築の主要な柱の1つであり真の始まりとみなすことができます。当時、パラグアイは日本と協力して日本人移住者の方々を支援し、移住者の方たちはその歓迎に感謝の意をこめてパラグアイの発展に重要な貢献をしました。

パラグアイは現在、日本政府の協力と日本人の移住者によって導入されたノウハウや技術のおかげで、世界の食糧生産において重要な役割を果しており、その関係は2つ目の重要な柱となっています。

現在、日系人社会はパラグアイにとって重要なコミュニティです。そのメンバー達は、公的及び民間部門でも高い地位に就いており、先進社会の強化に大きく貢献しています。

パラグアイの日系人コミュニティは、常に両国のつながりを表わしており、日本の高官がパラグアイを訪問する動機の1つであり、現在でも、両国の繋がりの象徴であり続けています。


Moonies accused of involvement in drugs

PARAGUAY: The Reverend Moon has carved out a section of Paraguay that is twice the size of Luxembourg

パラグアイ:ムーン牧師(文鮮明)はルクセンブルクの2倍の大きさのパラグアイの一角を切り開いた。Séamus Mirodanはそれを見に行った。

統一教会の霊的指導者であり、自称救世主、大富豪、米国共和党への多額の献金者である孫文師は、この5年間、南米大陸の中心にあるあまり知られていないパラグアイに強い関心を示してきた。

1999年以来、ムーン牧師はパラグアイ川の湿地帯から始まり、かすんだ水平線の向こうに60万ヘクタール(ルクセンブルク2個分以上)の乾燥した土地が広がり、そこには枯れ木や空気を求めて必死にもがく潅木がぽつぽつと点在しているのだ。

ラテンアメリカで最も荒涼とした地帯に、灼熱の太陽が容赦なく照りつける。世界最大の飲料水資源であるグアラニー帯水層の真上に位置するこのチャコ州北部に、ムーン氏はエコロジカルパラダイスを建設するつもりだという。

しかし、上院議員のドミンゴ・ライノ氏は、ムーン氏の買収には別のパターンがあると見ている。「世界最大の淡水の支配と、この地域に蔓延する麻薬ビジネスの支配である。「ルーラ大統領は、ブラジルは数年前、ムーンが両国の国境を買い占めていることが明らかになったので、ムーンを抑制するために真剣な措置を取ったと私に言った」と同議員は言った。

地元の警察当局からの疑惑がこの主張を裏付けている。1976年から89年までパラグアイの麻薬ツァーであった、いわゆるモンティエル博士はこう言っている。"彼らがチャコとブラジル国境の両側で買い付けに来たという事実は、非常に重要なことです。ここは麻薬と武器の取引において非常に戦略的な地点であり、実際、入手可能な情報では、

パラグアイ:ムン牧師はルクセンブルクの2倍の大きさのパラグアイの一角を切り開いた。Séamus Mirodanはそれを見に行った。

統一教会の霊的指導者であり、自称救世主、大富豪、米国共和党への多額の献金者である孫文師は、この5年間、南米大陸の中心にあるあまり知られていないパラグアイに強い関心を示してきた。

1999年以来、ムーン牧師はパラグアイ川の湿地帯から始まり、かすんだ水平線の向こうに60万ヘクタール(ルクセンブルク2個分以上)の乾燥した土地が広がり、そこには枯れ木や空気を求めて必死にもがく潅木がぽつぽつと点在しているのだ。

ラテンアメリカで最も荒涼とした地帯に、灼熱の太陽が容赦なく照りつける。世界最大の飲料水資源であるグアラニー帯水層の真上に位置するこのチャコ州北部に、ムーン氏はエコロジカルパラダイスを建設するつもりだという。

しかし、上院議員のドミンゴ・ライノ氏は、ムーン氏の買収には別のパターンがあると見ている。「世界最大の淡水の支配と、この地域に蔓延する麻薬ビジネスの支配である。「ルーラ大統領は、ブラジルは数年前、ムーンが両国の国境を買い占めていることが明らかになったので、ムーンを抑制するために真剣な措置を取ったと私に言った」と同議員は言った。

地元の警察当局からの疑惑がこの主張を裏付けている。1976年から89年までパラグアイの麻薬ツァーであった、いわゆるモンティエル博士はこう言っている。"彼らがチャコとブラジル国境の両側で買い付けに来たという事実は、非常に重要なことです。ここは麻薬と武器の取引において非常に戦略的な地点であり、実際、入手可能な情報では、月の一派がこれら両方の事業に関与していることが明らかである。"と述べている。

  もっと詳しく

パラグアイは、ボリビアとペルーで生産されたコカインのほぼすべてが通過する主要な麻薬港である。世界で2番目に腐敗した国であるパラグアイでは、「影響力を簡単に買うことができる」とモンティエルは言う。「汚職は危険なレベルまで達しており、パラグアイに透明性を求める者は死んでも死にきれない。実際、有名なイラン反乱事件は、パラグアイの南東部、アルゼンチンやブラジルとの国境にあるシウダー・デル・エステで起きていたのだ。

ムーン牧師は、広大で貴重な土地に満足することなく、工場や住宅を含む町全体を占拠している。プエルト・カサドでは、唯一の仕事場である製材所が閉鎖され、1日8時間労働と最低賃金(月80ポンド)を求めて組合を結成しようとした19人の労働者が解雇されたため、昨年からムーン弟子と地元の人々の間に緊張が走り、激しい対立が起こっている。

エミリオ・カマチョ上院議員によると、「月の宗派はマフィアである。政府の支配を覆そうとし、事実上、国家の中に国家を作ろうとしている。彼らは、地元住民の退去を願い、そのためにこの地域で疑う余地のない権威を持ち、やりたい放題しているのだと思う」。

南米でムーン牧師とその仲間に対してこのような非難がなされるのはこれが初めてではない。昨年6月、チリ政府はこの宗派を宗教団体として認めず、「社会に対する危険人物」だと非難した。チリ内務大臣の援助者は、タリバンのムラ・オマールの右側に位置するムーン牧師の思想を「深い反共産主義、外国人嫌い、著しいナチの影響を受けている」と表現している。ベネズエラとホンジュラスはこの教団を追放している。

ムン師の南米での冒険は、1994年に釣りの旅から始まった。ビクトリアS.A.の副社長であるジョン・ミンホン牧師はこう言った。"黄金のエルドラド魚が彼のボートに飛び込んできたのです。その美しさに目を奪われた牧師は、自然を守るために、環境を愛してここに投資しなければならないと決心したのです"。

この地域に土地を購入することを決めた牧師は、まずアマンバイ県のペドロ・フアン・カバジェロ市を訪れた(地元の雑誌「ゼタ」によると)。州知事のロベルト・アセベド氏はこう言った。「ここは麻薬取引のメッカで、売人たちは完全な免罪符を持って暮らしている。彼らは裁判官、警察、政治家さえも所有しているのです」。


ムーン牧師はスペインの金融業者であるフェルミン・デ・アラルコンと一緒に、彼のプライベートジェットでその地を訪れました。デ・アラルコン氏は宗教指導者に彼のバンコ・ジェネラルを売ろうとして失敗し、現在パラグアイの司法制度から逃亡中で、その銀行と他の銀行の資金をすべて引き出してから姿を消した。

ムーン師は1996年、ラテンアメリカの銀行業の中心地であるウルグアイの近くにあるバンコ・デ・クレディトを購入した。ウルグアイの銀行職員組合は、新オーナーのもとで営業を開始したその日、4,200人の日本人女性(すべて文鮮明信者)が行列を作り、1人あたり最大2万5000ドルの現金を預けたとされるマネーロンダリングの疑いがあると内部告発をした。その日の営業終了までに、8000万ドルが入金された。

この年、文鮮明のメディア帝国が誕生した。ティエンポス・デル・ムンドは、南米の主要な首都の大部分で配布されている新聞である。ブエノスアイレスでの開所式には、ジョージ・ブッシュ2世が主賓として出席し、彼の最初の選挙キャンペーン時の大恩人の一人であるムーン牧師を「名誉ある人」と称した。1982年には、年間約5000万ドルの損失を出すと言われるワシントン・タイムズ紙を創刊し、ブッシュ大統領は「ワシントンでは毎日読んでいるほど価値のある紙」と評した。

ムーン牧師はアマンバイから国境を越えて、広大なマリファナ農園で有名なブラジル南部のマトグロッソ・ド・スル州にあるポンタ・ポーラという町に移った。20万ヘクタール近くを購入し、「ニューホープガーデン」と呼ばれる「モデル都市」を建設した。また、ポルト・モルティーニョ市には、アセベド州知事が「この地域のヴィトー・コルレオーネ」と評するファハド・ヤミルの自宅があり、ホテルも所有している。彼はあらゆるものの値段を決めていて、この地区で活動する者はみな、彼に保護費を払わなければならない」。

1999年、ブラジル連邦警察は、ムーン師の関係者がマネーロンダリングや脱税に関与しているとして捜査を開始し、麻薬密輸の疑いも浮上した。その年の10月にはブラジルでの活動を縮小し、パラグアイに土地を購入した。地主の話によると、すべて現金で、しかも実際の価値よりも高い値段で買ったという。

早速、モデル都市「プエルト・レダ」の建設が始まった。レダに本部を置く文鮮明の「持続可能な発展のための財団」の佐野事務局長は、着陸帯から発電所まで、わずか400万ドルしか投資していないと主張する。この町には25メートルのプールもあり、警察や海軍の駐屯地もある。しかし、佐野牧師はこの町には日本の宗徒が10人しか住んでいないと主張している。


ムーン師が初めて大陸に関与したのは1970年代後半で、彼の組織がオリバー・ノースのニカラグア自由基金に最初の10万ドルを寄付した時である。この宗教指導者は、レーガン-ブッシュ政権時代のいわゆるコントラ・スキャンダルの多くに関与していた。

ムーン師のイデオロギーは、この時代、多くの南米の独裁者たちに寄り添うことを可能にした。実際、当時のボリビアの諜報機関の報告によると、彼はナチスの戦争犯罪者クラウス・バービーを治安維持活動に従事させたカルロス・メザ元大統領を誕生させた悪名高いコカインクーデターを支援するために、準軍事訓練を受けた7000人のボリビア人からなる「武装教会」を募集しようとしていたのである。

これらの活動について尋ねられた佐野牧師は、自分の組織が「非常に反共産主義的である...」ことを認めた。第三次世界大戦は、神を信じる者、すなわち民主主義者と、神を信じない者、すなわち共産主義者の間で戦われるでしょう"。

の一派がこれら両方の事業に関与していることが明らかである。"と述べている。

パラグアイは、ボリビアとペルーで生産されたコカインのほぼすべてが通過する主要な麻薬港である。世界で2番目に腐敗した国であるパラグアイでは、「影響力を簡単に買うことができる」とモンティエルは言う。「汚職は危険なレベルまで達しており、パラグアイに透明性を求める者は死んでも死にきれない。実際、有名なイラン反乱事件は、パラグアイの南東部、アルゼンチンやブラジルとの国境にあるシウダー・デル・エステで起きていたのだ。

ムーン牧師は、広大で貴重な土地に満足することなく、工場や住宅を含む町全体を占拠している。プエルト・カサドでは、唯一の仕事場である製材所が閉鎖され、1日8時間労働と最低賃金(月80ポンド)を求めて組合を結成しようとした19人の労働者が解雇されたため、昨年からムーン弟子と地元の人々の間に緊張が走り、激しい対立が起こっている。

エミリオ・カマチョ上院議員によると、「月の宗派はマフィアである。政府の支配を覆そうとし、事実上、国家の中に国家を作ろうとしている。彼らは、地元住民の退去を願い、そのためにこの地域で疑う余地のない権威を持ち、やりたい放題しているのだと思う」。

南米でムーン牧師とその仲間に対してこのような非難がなされるのはこれが初めてではない。昨年6月、チリ政府はこの宗派を宗教団体として認めず、「社会に対する危険人物」だと非難した。チリ内務大臣の援助者は、タリバンのムラ・オマールの右側に位置するムーン牧師の思想を「深い反共産主義、外国人嫌い、著しいナチの影響を受けている」と表現している。ベネズエラとホンジュラスはこの教団を追放している。

ムン師の南米での冒険は、1994年に釣りの旅から始まった。ビクトリアS.A.の副社長であるジョン・ミンホン牧師はこう言った。"黄金のエルドラド魚が彼のボートに飛び込んできたのです。その美しさに目を奪われた牧師は、自然を守るために、環境を愛してここに投資しなければならないと決心したのです"。

この地域に土地を購入することを決めた牧師は、まずアマンバイ県のペドロ・フアン・カバジェロ市を訪れた(地元の雑誌「ゼタ」によると)。州知事のロベルト・アセベド氏はこう言った。「ここは麻薬取引のメッカで、売人たちは完全な免罪符を持って暮らしている。彼らは裁判官、警察、政治家さえも所有しているのです」。


ムーン牧師はスペインの金融業者であるフェルミン・デ・アラルコンと一緒に、彼のプライベートジェットでその地を訪れました。デ・アラルコン氏は宗教指導者に彼のバンコ・ジェネラルを売ろうとして失敗し、現在パラグアイの司法制度から逃亡中で、その銀行と他の銀行の資金をすべて引き出してから姿を消した。

ムーン師は1996年、ラテンアメリカの銀行業の中心地であるウルグアイの近くにあるバンコ・デ・クレディトを購入した。ウルグアイの銀行職員組合は、新オーナーのもとで営業を開始したその日、4,200人の日本人女性(すべて文鮮明信者)が行列を作り、1人あたり最大2万5000ドルの現金を預けたとされるマネーロンダリングの疑いがあると内部告発をした。その日の営業終了までに、8000万ドルが入金された。

この年、文鮮明のメディア帝国が誕生した。ティエンポス・デル・ムンドは、南米の主要な首都の大部分で配布されている新聞である。ブエノスアイレスでの開所式には、ジョージ・ブッシュ2世が主賓として出席し、彼の最初の選挙キャンペーン時の大恩人の一人であるムーン牧師を「名誉ある人」と称した。1982年には、年間約5000万ドルの損失を出すと言われるワシントン・タイムズ紙を創刊し、ブッシュ大統領は「ワシントンでは毎日読んでいるほど価値のある紙」と評した。

ムーン牧師はアマンバイから国境を越えて、広大なマリファナ農園で有名なブラジル南部のマトグロッソ・ド・スル州にあるポンタ・ポーラという町に移った。20万ヘクタール近くを購入し、「ニューホープガーデン」と呼ばれる「モデル都市」を建設した。また、ポルト・モルティーニョ市には、アセベド州知事が「この地域のヴィトー・コルレオーネ」と評するファハド・ヤミルの自宅があり、ホテルも所有している。彼はあらゆるものの値段を決めていて、この地区で活動する者はみな、彼に保護費を払わなければならない」。

1999年、ブラジル連邦警察は、ムーン師の関係者がマネーロンダリングや脱税に関与しているとして捜査を開始し、麻薬密輸の疑いも浮上した。その年の10月にはブラジルでの活動を縮小し、パラグアイに土地を購入した。地主の話によると、すべて現金で、しかも実際の価値よりも高い値段で買ったという。

早速、モデル都市「プエルト・レダ」の建設が始まった。レダに本部を置く文鮮明の「持続可能な発展のための財団」の佐野事務局長は、着陸帯から発電所まで、わずか400万ドルしか投資していないと主張する。この町には25メートルのプールもあり、警察や海軍の駐屯地もある。しかし、佐野牧師はこの町には日本の宗徒が10人しか住んでいないと主張している。


ムーン師が初めて大陸に関与したのは1970年代後半で、彼の組織がオリバー・ノースのニカラグア自由基金に最初の10万ドルを寄付した時である。この宗教指導者は、レーガン-ブッシュ政権時代のいわゆるコントラ・スキャンダルの多くに関与していた。

ムーン師のイデオロギーは、この時代、多くの南米の独裁者たちに寄り添うことを可能にした。実際、当時のボリビアの諜報機関の報告によると、彼はナチスの戦争犯罪者クラウス・バービーを治安維持活動に従事させたカルロス・メザ元大統領を誕生させた悪名高いコカインクーデターを支援するために、準軍事訓練を受けた7000人のボリビア人からなる「武装教会」を募集しようとしていたのである。

これらの活動について尋ねられた佐野牧師は、自分の組織が「非常に反共産主義的である...」ことを認めた。第三次世界大戦は、神を信じる者、すなわち民主主義者と、神を信じない者、すなわち共産主義者の間で戦われるでしょう"。


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